「発信原稿 満洲軍参謀部諜報部」

学習院大学文学部史学科2年 長谷川怜 

 A満洲義軍
 今回は、満洲義軍に関する電文を眺めることとする。そもそも、満洲義軍とは何であろうか。少し解説したい。
 満洲義軍は、ロシア軍の後方攪乱と兵站破壊を目的に満洲の馬賊を集めて創設された特別任務隊のことである。トップに立ったのは花大人(ホアターレン)として知られた花田仲之助少佐である。彼は、日露戦争以前からウラジオストクの西本願寺において僧に化け、諜報活動に従事していた人物であり、また福島少将(当時少佐)のシベリア単騎横断の最中には、露清国境の街、琿春の副都統として福島を出迎えている可能性があるが実相は定かでない [1]。
 義軍は日露戦争が始まると、同じく馬賊を編成した「遼西特別任務班」と共に大陸の各地で鉄道の破壊や、物資の奪略を行いある程度の成果を挙げた。ロシア軍の後方で活動する満州義軍がロシア軍の将兵に与えた心理的ダメージは計り知れないだろう。
 実際のところ、満州義軍については、研究がほとんど存在しない。何故ならば、この組織は国際法に抵触する秘匿されたものであり、当時の公式の戦史にも記述が少ないからである。当時の新聞に「満洲義軍」に関する記事が存在するが日本人(陸軍軍人)が指揮していることは隠されている [2]。
なお、山名正二著『日露戦争秘史・満州義軍』(月刊満州社東京出版部、一九四二年)は、満州義軍の関係者に取材して記された好資料である。
発信原稿には満洲義軍に関しての電文が数多く存在するため、他の史料と照会しながら、未だ知られざる満洲義軍の全容に迫ってゆきたいと思う。

「明治三十七年七月十九日午後四時半発
参謀次長ヘ  総参謀長
 花田少佐ニ軍医一名看護手若干名ヲ附セラルルヲ望ム」


 総参謀長である児玉源太郎から参謀次長の長岡外史に宛てられたものである。この事からも、満洲義軍が大本営や満洲軍総司令部の管轄にあったことがわかるだろう。
なお、この電文に対する返答は不明であるが、防衛研究所などの史料中から発見することが出来るかも知れない。今後の課題である。
ちなみに、史料右端の「参謀」欄に書かれた青字は「安正」、すなわち福島少将がチェックした際のサインである。


 1  島貫重節『福島安正と単騎シベリア横断 下』(原書房、一九七九年)434〜435頁。
 2  『記事そのまゝ日露戰爭當事の内外新聞抄』〈戰記名著集 熱血秘史 一〇〉(戰記名著刊行會、一九二九年)「満州義軍の運動」ここでは、「満州義軍といふもの非常な勢で暴れ廻り時々奇襲をやつては露軍を悩ます・・・義軍といふのは元来何ものが之を指揮して居るか・・・」と花田少佐の正体は明かされていない。210〜211頁。