「日露戦争写真画報」には、「三笠艦橋の図」作者である東城鉦太朗など従軍画家らの絵画や、新聞の風刺漫画なども多数掲載されています。
尾竹國観 作
日露戦争写真画報 第二十四巻より木村光太郎 作
日露戦争写真画報 第一巻より旅順に閉じ込められたロシア艦隊を瓶詰めの熊に例えた外国新聞の風刺画
日露戦争写真画報 第二巻より清国(支)が戦禍に巻き込まれかけているのに対し、アメリカ(亜米利加)は陸で見物
日露戦争写真画報 第二巻より日本兵は追いかけているように見えるが、足元をよく見ると引きずられていることが分かる
日露戦争写真画報 第三巻より旅順が陥落したら、ニコライ2世、クロパトキン、ステッセルはこんな顔で悔しがるだろうという絵
日露戦争写真画報 第四巻より「満州(マンシュウ)」と「饅頭(マンジュウ)」をかけている風刺画
日露戦争写真画報 第十巻より尾竹國観 作
日露戦争写真画報 第十二巻より尾竹國観 作
日露戦争写真画報 第二十巻より東城鉦太郎 作
日露戦争写真画報 第二十三巻より尾竹國観 作
日露戦争写真画報 第二十三巻より尾竹國観 作
日露戦争写真画報 第二十四巻より小村に対する当時の世論の厳しさを窺い知ることができる風刺画
各国が日本兵と熊(ロシア)との争いを見物している傍らで、ドイツ皇帝がダイナマイトに点火中
日露戦争写真画報 第三十巻より 子規と交流のあった洋画家 中村不折の作品。不折は日清戦争でも記者として子規と共に従軍している。また、漱石の「我輩は猫である」の挿絵も担当している。