戦略と戦闘

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※ここでは、真之の著作「海軍応用戦術」のうち、『戦略』と『戦闘』との関係、特に「戦略の目的」と、「手段」としての戦闘について紹介していきます。

戦略と戦闘の関係

○作戦目的および計画
 戦争に於いて軍が直接の目的とするのは「敵を屈する」ことである。
 この目的を達するために取る手段は戦闘だけでなく封鎖、牽制、陽動など多々あるのだが、どのような手段であっても「敵を屈する」という目的に適合すればよい。これらを総称して「作戦目的」という。
 手段を目的と言うのは違和感があるかもしれないが、例えば健康な体を作るためには運動という手段を取り、その運動という第二の目的を達するために柔術あるいは水泳といった第二の手段を生じるように、物事は目的を達するために手段を生じ、手段を遂行するために第二の目的を生じ、第二の手段が第三の目的となる。つまり戦争に於いて直接の目的は「敵を屈する」ことであるが、その「作戦目的」は例えば要地占領など、直接の目的を達するために取る手段などを指していうものである。(※1)
 これらの作戦目的を決定し、軍隊をその作戦地域内に運用して、これを達成しようとする技術を「戦略」といい、その計画を「作戦計画」という。ただし、ここでいう「戦略」は直接戦闘を支配する戦略を指すものであり、戦役以上を支配する大戦略を指すのではない。(※2)

※1 : 「作戦目的」は、最終目的を達成するための「中間目的」と考えると分かりやすい。 例えば日露戦争前半では、
     日本海軍の直接の目的(最終目的) : 旅順艦隊の撃滅
     →そのための手段(第一の手段)   : 旅順要塞攻略 (第二の目的)
     →そのための手段(第二の手段)   : 二○三高地攻略 (第三の目的)
※2 : リデルハートも真之同様に「戦略」と「大戦略」を区別している。リデルハートは『戦術が戦略の低次元における適用であるのと同様に、戦略は大戦略の低次元における適用である』とし、国家戦略・政略レベルの「大戦略」を通常の「戦略」の上位に位置付けている。



○戦略の要旨
 作戦目的は様々なものがあり、これを達成する技術を「戦略」というのは前述したとおりである。この「戦略」で決定した作戦目的を達成する手段は戦闘、封鎖、牽制、陽動、威嚇など多々ある。つまり、戦闘という破壊手段は実にそのうちの一手段に過ぎず、戦略はその作戦目的を達成するための手段として常に戦闘を選ぶものではなく、可能であれば戦闘以外の非戦闘手段を用いたいものである。敵軍を殲滅することを目的とする戦略に於いて、直ちに戦闘によって力づくで敵を撃滅するように思える場合でも、戦略はこの場合に於いてすら、なお出来るだけ戦闘を避け、我が軍の損害を少なくし、敵を屈服させようとするものであり、みだりに力戦奮闘を要求するものではない。

 【 戦例1 日清戦争に於ける威海衛攻撃 】
 ・作戦目的
  威海衛に現存せる敵の艦隊を殲滅すること
 ・この目的に対する作戦計画の概要
  我が艦隊主力が海上より間接的に敵を威海衛に封鎖
  艦隊の一部は登州府を洋撃して陸上の敵を西方に牽制(※3)
  陸軍は栄城より上陸し、東方より威海衛の陸上背面に進出して他部との連絡を遮断

 この結果、陸海共に大きな戦闘は無く、僅かに水雷艇の夜襲、砲台に対する威嚇射撃、陸軍前衛部隊の衝突があった程度である。そして、敵は海上から威圧され、陸上は連絡を絶たれ、遂に屈して降伏せざるを得なくなった。
 これは孫子の言う「百戦百勝は善の善なるものにあらず。戦わずして敵を屈する、これを善の善なるものと謂う」という要旨に適合したものである。このように完全に作戦目的を達し得た戦略は、戦闘よりもむしろ他の手段に依るところが多い。

 【 戦例2 日清戦争に於ける第一軍、第二軍の行動 】
 ・作戦目的
  最強要地である旅順を占領すること
 ・この目的に対する作戦計画の概要
  朝鮮半島に上陸した第一軍は平城から国境まで北上し、敵主力を北方に牽制誘致(※3)
  手薄になった中間地点に第二軍を上陸させ、旅順と北方との交通線を遮断する

 結果として第二軍は、兵力分散で抵抗力の減少した金州、大連、旅順を半日〜一日で陥落させることができた。孫子が「城を抜く、これを攻むるにあらざるなり」といっているのは、このような事を言うのである。

 戦争に於ける対抗軍の「作戦目的」は単に敵の移動兵力だけではなく、「固定要点」(要塞など)、「移動物質」(輸送物資)、また無形の「交通連絡」などがあり、これらの作戦目的を達するために取るべき手段も多数あるため、必ずしも常に戦闘をするわけではない。もし戦闘を行う場合は、その戦闘地点に於ける自軍の投入兵力を敵軍よりも優勢にするか、あるいは逆に敵軍の兵力が自軍よりも劣勢になるように仕向けることで、容易に敵を圧倒する態勢で戦闘に臨むようにする。決して力戦苦闘して得難い勝利を強いて得るのではない。

 戦略は常に戦闘を主要の手段としているのではなく、却って戦闘を無くして目的を達することを上策とする。その要旨とするところは即ち「戦わずして敵を屈する」の一原則に帰着する。

※3 : リデルハートは「間接アプローチ」に先立って「牽制」を行うことで、敵の正面(攻撃指向方向)を別方向に向ける必要があると述べている。そして牽制の目的は「敵から自由を奪うこと」であり、「敵兵力を拡散させる」、「敵の注意を無益な目的へ逸脱させる」ことによって、敵はその兵力を拡散させることとなり、自ら企図していた運動が出来なくなってしまうとも述べている。真之が挙げた2つの戦例は、共に「牽制」によって敵兵力を攻略目標から引き離すことで作戦目的を達している。


戦略的手段としての戦闘の価値

 すでに推究してきたように、戦略手段としての「戦闘」の価値は低いものであり、むしろ封鎖・牽制・威嚇などの手段によって敵を屈する方が優れている。つまり、如何なる作戦に於いても戦闘は出来るだけ避けるべきなのである。
 しかし、そうは言っても過去の戦例を見ると全く戦闘をせずに作戦目的を達した実例は僅少であり、ほとんどの場合に於いてある程度の戦闘が行われている。前述した日清戦争の戦例でも、水雷艇による夜襲、軍艦による砲台の牽制砲撃、旅順攻略戦など、戦闘による貢献は少なくない。
 また、「戦闘」という手段は直接かつ単純であるだけでなく、他の手段よりも迅速に戦果を得られるため、交戦期間を短縮して作戦目的を達成できるという利益がある。逆に戦闘を避けた戦略を採った場合は、戦果を得るまで長い時間を要し、その間に天災、疫病、軍需物資の欠乏、敵援軍の増加など諸種の患害が発生し、作戦に悪影響を与えることが多い。
 そのため戦略の原則としては、なるべく戦闘を避けることを優先すべきであり、戦闘に依存することは拙劣であると言えるが、戦闘によって速やかに作戦を終局させることが出来るのであれば、戦闘はかえって作戦目的を達する最速の手段となるのである。故に、孫子も「戦わずして敵を屈するを善の善なるものとす」と言う一方で、「兵は拙速を聞く、未だ巧の久しきを観ざるなり」と戒めているのである。(※4)
 このように、戦闘によって拙速に作戦目的を達する必要がある場合は、戦闘を避けることが出来ず、戦略に対する戦闘の関係は密接となり、戦闘の成否が直接または間接的にその作戦の成否となる。戦闘は「戦術」のよって行われるため、戦場に於ける勝敗はその「戦術」の巧拙に依存している。そのため「戦術」の巧拙はその作戦の第一要件となり、戦略の短所を補うことができる事もある。よって、戦士としての「戦術」講究は「戦略」よりも緊要であり、古来より兵術講究の第一位に置かれているのである。

 要するに、
 ・戦闘は戦略実施の一手段に過ぎない
 ・戦略は必ずしも戦闘を為すものではなく、むしろ戦闘を避けるものである
 ・よって、原則としては戦略上の必要が無ければ濫りに戦闘をすべきではない
 しかし、
 ・戦闘手段を用いなければ、迅速に作戦目的を達することは出来ない
 ・よって、通常は戦闘を避けたくても避けることができないものである
 ・そのため、単に「戦闘を避ける」という原則のみに拘泥すべきではないと言わざるを得ない


※4 : リデルハートも、戦闘は戦略目的にとって諸手段の一つに過ぎず、戦闘を行う事が適している状況であれば迅速に効果を得ることが出来るが、状況がそれに適していなければ戦闘を行うのは拙劣である、と述べている。

戦略と戦闘の起こるべき場合

 前段で述べてきた戦略に対する戦闘の関係は、すべて対抗軍の一方のみについてこれを主観的に論じたものであるため、これだけで戦闘そのものが成立すると即断すべきではない。なぜなら戦争と戦闘とを問わず、兵戦というものは相対的に成立するものであり、対抗軍双方の意思が一致しなければ戦闘が起こることはないのである。戦略の原則として劣勢の兵力では優勢の敵と戦うべきではないため、劣勢の側は常に戦闘を避けることになり、戦闘が成立する機会は僅少になると言わざるを得ない。よって、戦闘が起こるのは次の場合だけである。

 一 、 対抗軍の戦闘力が均整であるとき
 二 、 対抗軍の双方もしくは一方が、自軍の戦闘力を敵より優勢か均整であると誤算したとき。
 三 、 対抗軍の一方が優勢優速で、劣勢劣速の敵を戦わざるを得ない状況まで窮迫させたとき。
 四 、 対抗軍の一方が劣勢であっても、巧妙な戦術で優勢の敵を屈し得ると確信したとき。

 戦闘をする以上は、対抗軍の双方共に勝利を期して敗戦を望まないため、上記の四つの場合の外は戦闘は起こらない。これを実戦と照らし合わせると、例えば日清戦争では我が艦隊は終始敵を探して会戦することに努めたが、敵が常に避戦の戦略を執っていたため容易に実現せず、開戦から三ヶ月経ってようやく敵艦隊が陸軍護衛で鴨緑江付近に出てきたところを黄海一隅に圧迫し、戦わざるを得ない状況とすることで初めて黄海海戦を現出したのである。もし清国艦隊の速力が我が艦隊よりも勝っていて、敵が戦いを避けて旅順や大連に逃げ込んでいたらこの戦闘は起きなかった。また、トラファルガー海戦に於いても、ネルソンが長期間にわたって敵艦隊を探しもとめた末にトラファルガーで偶然敵艦隊と遭遇し、その際に敵に対し風上を占めていたために敵を追窮して海戦を現出させたものである。もし風上風下の位置関係が逆であれば、フランス艦隊は近くの港に撤退することでネルソンとの海戦を避けたであろう。
 このように、実戦に於いても理論に於いても、戦闘が容易に起きない事は明白である。兵術思想に乏しい将校は「戦争」と聞くと同時に直ちに「戦闘」を連想し、自分に戦う決心があれば容易に敵軍と砲煙弾雨の中で相見えるかのように考えるかもしれないが、これは見識が足りないことから生じる妄想であり、戦闘は容易には起こりえないものなのである。



 本節は複雑な「戦略」と「戦闘」の関係を簡単にこの一小節に述べ尽くそうとしたために、前後混雑して理解しにくい所があるかもしれない。この節の要旨は下記のとおりである。

 戦略の要旨は「戦わずして敵を屈する」ことであり、なるべく戦闘を避けて作戦目的を達しようとするにも拘わらず、「兵術は拙速と貴び」、ある程度は戦闘に依らざるを得ない。
 また戦略上戦闘に頼ろうとしても、対抗軍双方の戦略如何によって必ず戦闘が起こるわけではなく、戦闘は容易に成立するものではない。