出身地 |
海軍兵学校 |
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生没年 |
1878年〜1935年 |
海軍大学校 |
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最終階級 |
日露戦争時 |
連合艦隊参謀 |
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キザな清河山本五十六、米内光正と共に「海軍左派三羽烏」と称された最期の海軍大将 井上成美は、歴代海軍大将に対して辛口の評価をしたことで知られている。彼から一等大将と評価されたのは山本権兵衛と加藤友三郎だけ、東郷平八郎など他の大将は二等、三等扱いであった。その井上が『小柳資料』の中で清河について次のように語っている。『清河純一中将はキザで、私は嫌いであるが、大正十年私が駐在でフランスにいたとき(清河中将は当時大使館付武官)「ここから日本をみていると、万世一系国威発揚などまではよいが、神の選民だ御国の光輝かせなどと呼号するに到っては、傍若無人と云わなければならない。結局教養の問題だよ。我が身を顧みず独りよがりを言っても駄目だ」と言われたが、なるほどと思ったことがある』。 清河のどのような言動がキザであったのかは書かれていないので不明である。 |