出身地 |
海軍兵学校 |
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生没年 |
1860年〜1944年 |
海軍大学校 |
− |
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最終階級 |
日露戦争時 |
第四戦隊参謀 |
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無能と思わなかった?昭和十年、日露戦争に従軍した海軍関係者の座談会が行われた。小笠原長生、佐藤鉄太郎らが一通り東郷を称える逸話を紹介したあとに語りだした森山。「小笠原君は東郷崇拝のオーソリティーだが(笑)、東郷さんが連合艦隊司令長官になったとき、この席にいる人で東郷さんが偉いと知っていた人は、戦前は有馬さん一人くらいだろうと思います。 実は東郷さんが司令長官として来ると聞いても、その存在さえよくわからない物も少なくなかったようです(笑)。中には名簿を出してみて、誰がつけたのか、もう辞めてよかろうなどと×印が東郷さんのところについている(笑)。それで我々も知らんもんだからネ。戦争が始まるというのに、こういうような長官が来ちゃぁ、これは叶わん、困ったものだ、鹿児島の人だからよこしたのだろう。困ったものだネ、と言っていると東郷さんが来た。 そのとき僕は梨羽司令官にお供して停車場に迎えに行ったヨ。その停車場から埋め立てのところのへ迎えに行ったのは、今はどうか知らんが、ホンの儀礼通りに艦隊の司令官と幕僚だけで貧弱なもんだヨ。 君! 陸軍なんか馬上豊かに乗って歩くだろう(笑)。東郷さんという国宝が佐世保に着いたときのさびしい状況というものは、実に貧弱なものでしたよ。で、僕らはこんな人が俺らのとこの長官に来ちゃ叶わんと思った。埋立地をヨボヨボ下を向いて行くんだからね(笑)。それでますます困った。なんだか、こう下を向いてさ、小さな男で(笑)、名簿のところで×印の付いた男が先へ行くのだから、どうも困った。こういう長官が来たんじゃ・・・・と思いながら、ついて行った。 そのうち、いろいろな人が、「東郷という人はえらい人だ」と言いだすから、なんだこいつ等、どこかでお世話になったんで長官を誉めるんだろう(笑)、僕らはそう思っていた。ところが一ヶ月ばかりすると、誰もが東郷さんに頭を下げる。水兵までが東郷さんが甲板を散歩していたと感服する。我々もソロソロ妙だなぁ・・・(笑)と思うようになった。 それはまあ、有馬さんなんかは日清戦争の頃から偉いということをご承知だが、他の者は誰も知らない。ほとんど大部分は、こういう人が艦隊長官に来ちゃぁ困ると思ったに違いない。安保君なんかどうだった?(笑)」 急にとんでもない話を振られた安保が、「親父に聞いたよ。・・・・云々」と、東郷を称える逸話を紹介して無難にやり過ごすと、今度は森山、 「小笠原君は戦争前、東郷さんをどう思った? 無能とは思わなかったか?(笑)」 小笠原は慌てて否定。 「そんなことはない。人から聞いていた。ハワイに行ったろう。あの時、君も一緒じゃなかったかネ。領事館の風呂に入ったろう・・・」 すると森山が一言。 「いや違う。僕は行ってないヨ」 それでもめげずに、小笠原は東郷を称える逸話を語り続けた。 |