1868年〜1941年。薩摩藩出身。軍艦行進曲の作曲者。海軍軍楽師・軍楽長として各艦乗艦し、北清事変や観艦式などに参加した。日露戦争中は舞鶴海兵団付で、日本海海戦後に三笠に乗艦したが、三笠爆沈時は上陸していて難を逃れた。退官後は東京帝国大学などで後進を指導するなど第一線を退いていたが、昭和12年には愛国行進曲の公募で瀬戸口の曲が第一位となって採用されている。
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出身地 |
陸軍士官学校 |
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生没年 |
1855〜1929年 |
陸軍大学校 |
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最終階級 |
日露戦争時 |
清国駐屯軍司令官 |
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奥さんは如何ですかドイツ留学中、強直一点の仙波に対しある友人が、「軍人と云えども時にはお世辞も必要だから、上官に接する時はその夫人の機嫌くらいは尋ねてやりたまえ」と教えた。ある日、散歩に出た仙波は当時所属していたアウグスデンブルグの連隊長に会ったので、人通りの多い中で敬礼しつつ「奥さんは如何ですか」と教えられた通りに尋ねた。連隊長は意外な質問に度を失い、わざと聞こえないふりをして通り過ぎようとしたが、聞こえなかったと思った仙波はさらに高い声で「奥さんは如何です」と繰り返したので、連隊長はその場を逃げ出してしまった。文学嫌い文壇人国記(明治44年 横山健堂著)によると、仙波は文学嫌いであり、文学青年を見ると「小説だけは御作りなさるなよ」と懇ろに説いていたという。 |