鈴木貫太郎記念館
記念館は貫太郎の自宅があった千葉県野田市関宿にあります。正面の塔に刻まれた自筆の「為萬世開太平」は終戦詔書の一文「堪へ難きを堪へ、忍び難きを忍び、以て万世の爲に太平を開かんと欲す」からの引用。
館内には愛用の品や肖像画、大礼服の他、日露戦争や2・26事件、御前会議の油絵が展示されています。勲章など戦前の品々は、終戦直後にポツダム宣言受諾に反対する陸軍将校に自宅を襲撃された際にほとんど焼失してしまったようです。そのため、展示品は意外と少ないように感じました。
ちなみに、貫太郎のお墓はここから徒歩数分の実相寺にあります。
鈴木貫太郎翁終局之地 (吉田茂 書)
吉田茂は貫太郎が学習院の軍事教練担当教師として派遣された頃にの教え子の一人。戦後も二人の交流は続き、吉田が貫太郎に総理としての心構えを聞いた事もあったといわれています。