閉塞船指揮官。左から有馬良橘、斉藤七五郎と正木義太、鳥崎保三。
閉塞船機関長。左から杉正人、栗田富太郎、南澤安雄、大石親徳、山賀代三。
左から藍原善七、谷田志摩生、玉井虎之助、増田兵馬
左の写真は浅間選出の閉塞隊員
後列右から林政吉、宇野虎三、前列右から増田兵馬、上信音蔵、内田格之助
右の写真は吾妻選出の閉塞隊員(武陽丸乗組)
左から栗田鎌太郎、吉田巳之次郎、榎原龜次
出雲選出の閉塞隊員(仁川丸乗組)
左から伊豆音松、安保助蔵、三島謙六、貝原六郎、青木五郎
根拠地に集結した第一回作戦参加の閉塞船。
広瀬が乗船した報国丸。
帰還直後の報国丸乗員。前列右から三人目が広瀬武夫。
前掲写真の裏に広瀬が書いた乗員の氏名と和歌。
「報国の操は高れ笠置山 朝日に匂ふ敷島の花」
と、乗員各自の所属艦を歌に詠みこんでいる。
第一回閉塞作戦後の仁川丸、武州丸乗員。
脱出後に収容艦と合流できず老鐵山南方に漂着。
その後、ジャンク四隻に分乗して登州に上陸し、
徒歩で日本公使館に辿り着き無事に保護された。