杉野孫七上等兵曹とその息子達。長男は戦艦長門の最期の艦長となった。
左の写真は朝日選抜隊員。前列左から竹澤彌七、菅波政次、三富由太郎。
後列左から石井銀次郎、高井清、大山鐵三郎。菅波のみ第二回に参加。
他五名は第一回の参加者であるが、前列中央に菅波を立たせている事から、
二回目の作戦に従事する仲間の記念撮影のために集まったのかもしれない。
右の写真は吾妻選抜隊員。左から平野一郎、沓澤皆蔵、石井左市。
常盤選抜隊員。後列左から溝淵平太郎、二名郷一、上野岩次郎、橋本圭二郎。
中央左から鳥崎保三、杉政人(この二人は第一回、第二回両方に参加)。
前列左から鈴川太郎右衛門、中川作太郎、玉井虎之助、米田賢一、温品逸三。
上野、橋本、中川、玉井、米田が第一回、溝渕、二名、鈴川、温品が第二回に参加。
根拠地に集結した第二回作戦参加の閉塞船
広瀬武夫が第二回作戦で乗船した福井丸
出撃前に広瀬が八代六郎に送った手紙
連合艦隊に見送られて出港する福井丸
沈みゆく福井丸艦上で杉野を捜す広瀬 (木村光太郎 画)
ボートで旅順口から脱出する正木義太と米山丸乗員(山中古洞 画)
正木は負傷しながらも、右手に重傷者を抱え、左手で舵を取り続けた。
旅順口外に沈没した福井丸
福井丸乗員。中央で蓑にくるまれている人物は敵弾で重傷を負った栗田富太郎機関長。
栗田の右隣の兵士が持っている二つの箱のうち、大きい方には戦死した広瀬の肉片が、
小さい方には出撃前に杉野が残した遺髪が納められている。両端は戦死した兵卒の棺。
福井丸では広瀬、杉野の他、小池一等機関兵、菅波一等信号兵曹が戦死している。
広瀬が戦死した際に所持していた血染めの海図。
下は講道館に海図が寄贈された際の朝日乗員の手紙。
(現在は講道館の柔道殿堂で公開されている)
旅順口付近に自沈した閉塞船
旅順港内から見た閉塞船。右から報国丸、米山丸、弥彦丸。