旅順口閉塞隊士列伝




海軍一等機関兵 梅原健三(第一回作戦における戦死者)

 学校を出でて夜学に通う頃、教師は日本の海国なる事、及び海の利用、海の保護など海という思想を十分吹き込みたるより、同氏は感じて決然身を海軍に置く事となりぬ。大阪師団の兵の野外演習ありて兵馬の村里に来る時は、直ちに小間物行商の荷物を傍らに棄て置き、ああ愉快なり、勇壮なりと打ち眺めて、終日食事を忘れ、日没ようやく家に還りて父に叱られしこともあり。軍艦「八島」に乗組みて大阪の湾頭に碇泊せしに、一友人は同氏の許に至り、「なぜ近き郷里をおとずれざるか」と尋ねたり。健三君は笑いながら、「僕には職あり、一旦軍人となりて家を出ずるからは、すでに死したる者と思われよとの言葉、かねて父に対して誓いたり。いま家に還らば、懐旧の情起こり、母などの目にも涙浮かぶは人情なり。涙は軍人の禁物。僕はただよく勤務せる旨を父に伝言ありたし」と爽快に語りぬ。




海軍一等水兵 安保助蔵(第一回閉塞作戦に参加)

 少時家貧なりしも、決して他に屈せず、七八歳の頃、学友某々、君に向かい「明日は試験だが、お前は服装が穢いから試験には出られまい」と侮辱せしに、君は大いに怒り、「馬鹿をいうな。己は学問の試験を受けるが衣服の試験を受けるのではない」と、力任せに某を殴りつけたりという。




海軍一等機関兵 貝原六郎(第一回閉塞作戦に参加)

 君、小学校に在りし時、教師に極めて海事思想を皷吹する人あり。その感化は君の今日を生みしか。古今の英雄中、坂本龍馬を好むという。




海軍一等信号兵曹 内田格之助(第一回閉塞作戦に参加)

 君は幼にして両親に別れ孤独の身となり、艱難辛苦の間に人と成れり。ある冬、叔母は一枚の綿入れを新調して与えたるに、大いに喜び謝辞を述べて退きしが、暫時して一室に入り、小刀を以て新衣の裾を解き、悉くその綿を抜き取り、再び叔母の前に至りて曰く「厚意謝するに余りあり、されど男子たるもの身に綿入れなどを纏うは柔弱に陥るもとなり、断じて暖衣を着くる習慣を作らず」と、極寒と雖も曾て厚着せし事なしと。




海軍三等機関兵曹 藤本金太郎(第一回閉塞作戦に参加)

 報国丸がいよいよ爆沈の手段をとる場合に、総ての乗組員は皆端艇に乗移るまで、君は本船に止まって、端艇の綱を取る任務に当たれり。この綱取りこそ極めて至難の任務にて、機を過らんか端艇はたちまち顛覆し、乗組みの全員ことごとく海の藻屑と化し去らんおそれのある事なれば、全員の声明はこの危うき綱一筋を伝って、君の一臂の預かるところなりしに、船員未だことごとく乗移らず、君熱心に綱をにぎり居る最中、たまたま敵弾飛び来たり、君の頭部と右腕とを掠め去り、あわや十余名の勇士が生命は君が倒るると共に断絶するかと思われしに、君この時凛として屈する色なく、滾々と迸る血汐に戎衣を染めつつ、満身の力を込めて握りし綱を決して放たず、全員端艇に乗移り、、首尾よくその任務を果たして、君も艇中に飛び移るや、「もうこれで任務は済んだな。アァ安心した、閉塞隊万歳」と叫ぶとともに、気弛みてバッタリと倒れ、繃帯施されて根拠地へ帰りし壮烈なる振る舞いには、鬼神をも挫くめき勇士達も、皆感涙に咽びたりと。




海軍三等機関兵曹 日高金兵衛(第一回閉塞作戦に参加)

 君は水泳の達人なり。閉塞の任に赴く前、傍人と戯れ語って曰く「己は船が沈んでも死ぬ気遣いは無い、抜手を切ってどこかへ泳が着いてみせる。ただし弾丸に当たったらこの限りにあらずだ」と呵々大笑せし声は既に敵を呑む。




海軍一等機関兵 溝淵平太郎(第二回閉塞作戦に参加)

 故郷の母より留守宅見舞いに来たりし人数人を招待せんとの手紙に接し、不同意の返書を送って曰く「虚飾を止め、浪費を省き、それを以て恤兵或いは慈善事業に使用されたし」と、その心掛け知るに足る。




『日露戦争実記』第十八編「旅順口閉塞隊」より抜粋



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