旅順口閉塞隊志願者の請願書




旅順閉塞隊志願者の血書

今般決死募集相成候に付ては志願致候條、御選抜相成度此血書を以て奉願上候也

海軍二等兵曹 林紋平 明治三十七年二月十八日 三笠艦長伊地知彦次郎殿




我日本帝国軍人として上元帥、下兵卒たるを論ぜず其(その)志義報恩に於いては決して軽重あることなからん。不肖末吉等身を軍隊に投じて以来優握(ゆうあく)なる御勅諭を拝聴する久し。而して其忠君愛国の念寸時も胸中を去らず日夜報恩の機を俟(ま)つと実に大旱(たいかん)の雲霓(うんけい)も啻(ただ)ならず今日露の開戦第一着として旅順、仁川等に於て敵艦を敗り其上位に立つ人は聊(いささ)かたりとも其報恩の一端を盡す。然れども不肖未卑しくして其衷心の萬一を盡さず其前途に於ても猶(なお)然りとす。洵(まこと)に郷里の知己に対し将(ま)た他年の眷顧を受けし各長者に対し汗顔に耐へず彼露国の一度敗勢を取し以来は●●●●●●●●●●不肖従来の本望を遂げ聊か国家に対して萬一の報恩に供するを得ん。若(も)し中途にして斃るヽあるも大日本帝国の體面は断じて辱かしむることあるまじく一度出師に臨む固より生還を期せず今にして願望御許容あり一臂(いちび)の助力を仰ぐに於ては将に其赤心を貫くに躊躇する所なし。願はくは不肖等の衷心を御推察の上御許可相成る様且つは一臂の御助力給はり度伏して懇願仕り候。其豫め為すべき目的として別紙の如くに候。

 海軍一等水兵 井上末吉 (血判)
海軍二等水兵 浮田友三郎 (印)

 
註 : ●●●●●●●●の部分は、軍機に関する記載があるということで出典元の日露戦争実記でも未掲載となっている。



謹みて御願申上候。先日来の御高庇を謝し併せて此度(こたび)第二決死隊組織相成再三再四分隊長に願候得共(ねがひそうらえども)兎や角申され実に慨嘆に堪へず小卒国家の為斃れて後止むの決心に御座候へば何卒旧友の誼を以て高官より艦長に御願ひ被下度(くだされたく)奉願候(ねがひたてまつりそうろう)。

 明治三十七年三月十八日 出雲海軍二等水兵 安保助蔵




拝呈早速ながら貴意を得候。此度組織されたる決死隊本艦にては最早定員となり聞く所に依れば高官再度此名誉ある事業に御越しとの事。小卒儀も一度死を決し高官と死を共にせんと誓ひしも敵弾不良にて惜しからぬ命を永らへ又●●●●●今迄待ちたるに幸ひに命あり直ちに志願せしも選ばれず前回と異なる事なれば不得止(やむをえず)。然れども前同様の事なるに選ばれざる其意を不得(えず)。小卒も一度行きて経験もあれば何卒従軍御許可相成度、最早人員も整ひ居れば御繰り合せの程偏(ひとえ)に奉願候。也人は死すべき時に死せざれば死に勝るの恥ありとかや。小卒名誉ある挙に死する本望に御座い候。

 出雲海軍二等水兵 安保助蔵


註 : ●●●●●●●●の部分は原文不明箇所。



昨年十月此内諭の冒険事業不幸にして第一次は成効を期せず依て次回の事業を相俟ち候處(ところ)聞く所に依れば既に今回の閉塞隊は各艦御確定と承り私儀(わたくしぎ)遺憾に堪へず是非御供致し度熱望に候故中佐の御厚情を以て何卒御高命の御指示を奉乞候(こひたてまつりそうろう)。

 中川作太郎



御願 嗚呼愉快なる哉君国の為決死旅順閉塞奮進右に付意見ある處を御洞察被遊(ごどうさつあそばされ)是非とも御採用被下候様(ごさいようくだされそうろうよう)御盡力の榮を仰度(あふぎたく)伏而(ふして)哀願に及び候也。

 大河原邦之助










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