小倉市

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森鴎外住居跡

森鴎外住居跡

 小倉駅前にある森鴎外住居跡の碑。第十二師団軍医部長として赴任した明治32年から35年まで住んでいた場所です。クラウゼヴィッツの『戦争論』を翻訳しはじめたのも小倉在住中です。


小倉城

小倉城

 細川忠興が築城し、その後は幕末まで小笠原家の居城となった小倉城。第二次長州征伐では高杉晋作に敗北した小笠原軍が戦線離脱の際に城を放火。現在の天守は再建されたものです。


第十二師団司令部跡 歩兵第十二旅団司令部跡

 明治期には城内に第十二師団の司令部が置かれました。城内には第十二師団司令部跡、歩兵第十二旅団司令部跡などの石碑があります。

第十二師団司令部の正門

第十二師団司令部の正門。軍医部長として勤務していた森鴎外の他、秋山好古と同期の内山小二郎、藤井茂太、柴五郎が師団長としてこの地に赴任しています。


奥保鞏生誕地、歩兵第十四連隊跡地

歩兵第十四連隊跡地

 小倉城には、西南戦争で乃木希典が率いた歩兵第十四連隊も設置されていました。乃木の後任の連隊長は地元出身の奥保鞏。その奥の生誕碑が写真左の小さな石碑。


奥保鞏生誕地

 ちなみに、これらの石碑についてネットで調べると「勝山公園内にある」と書かれていることが多いのですが、実際に現地に行ってみると「勝山公園」は小倉城本丸辺りと、小倉北区役所辺りの二ヶ所に分かれています。奥保鞏生誕地と歩兵第十四連隊跡地があるのは南の方の勝山公園、市立図書館駐車場の入り口付近です。