南山の戦闘後の五月三十日、好古率いる騎兵旅団は得利寺の敵情を探るために孤軍北進を開始した。この動きを察知したクロパトキンがシタケリベルグ中将率いる騎兵団に迎撃を命じたため、両軍騎兵が初めて激突することとなった。
三十日午後一時、好古が先進させた騎兵連隊が田家屯南部で敵軍と衝突。その後、退却するロシア軍を追撃し、日本軍は竜王廟南方まで進出した。
五月三十日午後一時から三時頃の両軍の配置 〜 「明治卅七八年日露戦史」 第一巻 挿図第三十二
〜
午後一時四十分、花紅溝南方の高地にロシア軍の野砲六門が現れ砲撃を開始。さらに徒歩騎兵二百が新手として出現し、隘路で身動きがとれない日本軍は苦戦を強いられた。しかし好古は退却することなく敵の猛攻に耐え続け、午後三時にロシア軍が退却を開始するまで持ちこたえた。
六月三日、曲家店北方に留まり続けていた好古の騎兵旅団のもとに砲兵二個中隊が到着。一方、ロシア軍はこの日の昼頃に到着した増援部隊を率いて再び得利寺から南下を始めた。
六月三日午後五時頃の両軍の配置 〜 「明治卅七八年日露戦史」 第一巻 挿図第三十三
〜
午後五時、ロシア軍は砲兵の到着と共に竜王廟へ進撃を開始。これに対し、好古は敵の先頭が指揮所の前面約一キロ半にまで迫った時を見計らって、隠しておいた砲兵に砲撃を命令。さらに歩兵・騎兵に攻撃を命じ、ロシア軍を撃退した。この戦闘によって、好古はロシア騎兵との初戦を勝利で飾ることとなった。