年 | 月 | ![]() |
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出来事 | 年 齢 |
出来事 | 年 齢 |
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1859年 (安政6年) |
1月 | 1月7日、松山藩士 秋山久敬の三男として誕生。幼名 信三郎。 | 1 | ||
1866年 (慶応2年) |
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藩校 明教館に通学。 | 8 | ||
1868年 (明治元年) |
3月 | 3月20日、弟 真之誕生。 |
10 | 3月20日、松山藩士 秋山久敬の五男として誕生。幼名 淳五郎。 | 1 |
1875年 (明治8年) |
1月 |
教員資格取得のため大阪へ行く。 五等助教として堺県河州四十五番小学校に勤務。 |
17 | 勝山小学校に入学。 | 8 |
5月 | 離職し、大阪師範学校に入校。 | ||||
1876年 (明治9年) |
7月 | 大阪師範学校卒業。 愛知県三等訓導を拝命し、愛知県立名古屋師範学校附属小学校に勤務。 |
18 | ||
1877年 (明治10年) |
2月 | 依願免職。 | 19 | ||
3月 | 東京予備教員となり上京。 | ||||
5月 | 陸軍士官学校入学。 | ||||
1879年 (明治12年) |
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21 | 松山中学校に入学。 | 12 |
12月 | 陸軍士官学校騎兵科卒業。 任陸軍騎兵少尉、東京滞在仰付。 |
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1880年 (明治13年) |
2月 | 東京鎮台騎兵第一大隊付仰付。 | 22 | ||
3月 | 兄 則久の病気隠居に伴い家督相続。 | ||||
6月 | 叙正八位。 | ||||
7月 | 東京鎮台騎兵第一大隊小隊長仰付。 | ||||
1882年 (明治15年) |
1月 | 東京鎮台騎兵第一大隊小隊長被免。 士官学校出仕仰付。 |
24 | ||
2月 | 陸軍士官学校学科部出仕仰付。 | ||||
1883年 (明治16年) |
2月 | 任 陸軍騎兵中尉。 | 25 | 16 | |
3月 | 陸軍士官学校教官 騎兵分課仰付。 | ||||
4月 | 叙従七位。 陸軍大学校入学。 |
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6月 | 真之を東京に呼び寄せる。 | 松山中学校中退。 上京し、共立学校に入学。 |
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この頃に騎兵会を作る。 | |||||
1884年 (明治17年) |
7月 | ![]() |
26 | 東京大学予備門の試験に合格。 | 17 |
9月 | ![]() |
東京大学予備門に入学。 秋頃に子規と同居する。 |
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12月 | 修学のため砲兵第一連隊付仰付。 | ||||
1885年 (明治18年) |
9月 | ![]() |
27 | 江ノ島無銭旅行を行う。 | 18 |
11月 | 第一回参謀旅行に参加。 | ||||
12月 | 陸軍大学校卒業。 免本職、補 参謀本部出仕仰付。 |
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1886年 (明治19年) |
4月 | 参謀本部陸軍部出仕被免。 補 東京鎮台参謀 |
28 | 19 | |
6月 | 任 陸軍騎兵大尉。 | ||||
10月 | ![]() |
東京大学予備門を退学し、海軍兵学校に入学。 | |||
1887年 (明治20年) |
7月 | 免本職、自費仏国留学許可。 25日に横浜を出港。 |
29 | 学術優等に付き、英和辞書一冊と繰出鉛筆一本を授与される。 | 20 |
1888年 (明治21年) |
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山県有朋が視察のためパリを来訪。 | 30 | 学術優等に付き、短剣一腰を授与される。 | 21 |
1889年 (明治22年) |
7月 | ![]() |
31 | 学術優等に付き、優等章を授与される。 | 22 |
1890年 (明治23年) |
1月 | 官費留学仰付。 チフスを発症する。 |
32 | 23 | |
7月 | ![]() |
海軍兵学校を首席で卒業。 海軍少尉候補生として比叡に乗艦。 |
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10月 | ![]() |
遭難したトルコ人を帰国させるために神戸を出港。 | |||
12月 | 父 久敬没。 | 父 久敬没。 | |||
1891年 (明治24年) |
6月 | ![]() |
33 | 高千穂に乗艦。 | 24 |
12月 | フランスより帰朝。 補 騎兵第一大隊中隊長。 |
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1892年 (明治25年) |
4月 | 免本職、補 士官学校馬術教官 兼 幼年学校馬術教官。 | 34 | 25 | |
5月 | ![]() |
任 海軍少尉。 補 龍驤分隊士。 |
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7月 | ![]() |
叙正八位。 | |||
11月 | 任 陸軍騎兵少佐 補 騎兵監副官 |
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この年に母 貞を東京に招き同居する。 | |||||
1893年 (明治26年) |
1月 | 叙従六位。 | 35 | 26 | |
4月 | 佐久間正節の長女 多美子と結婚 | 免本職、補 松島航海士。 | |||
5月 | 免本職、補 騎兵第一大隊長 | ||||
6月 | ![]() |
免本職、補 吉野分隊士。 吉野回航委員として英国出張。 |
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1894年 (明治27年) |
4月 | 36 | 免本職、補 筑紫航海士。 | 27 | |
8月 | 長女 與志誕生。 日清開戦。 |
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10月 | 日清戦争に出征。 | ||||
11月 | 龍口にて敵騎兵と戦闘、これを撃破。 | ||||
1895年 (明治28年) |
蓋平など各地を転戦。 | 37 | 28 | ||
5月 | 任 陸軍騎兵中佐。 功四級金鵄勲章を授与される。 |
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6月 | 帰国。 | ||||
7月 | 山地第一師団長より頌状を受ける。 | 免本職、補 和泉分隊士。 | |||
11月 | 明治二十七八年戦役従軍記章を授与される。 | 免本職、補 大島航海士 兼 分隊士。 明治二十七八年戦役従軍記章を授与される。 勲六等単光旭日章を授与される。 |
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1896年 (明治29年) |
1月 | 38 | 免本職並兼職。 水雷術練習所学生仰付。 |
29 | |
3月 | 叙正六位。 | ||||
5月 | 海軍水雷術練習所乙種教程卒業。 補 横須賀水雷団第二水雷艇隊付 |
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7月 | 免本職、補 八重山分隊長心得。 | ||||
8月 | 免本職、補 乗馬学校長。 次女 健子誕生。 |
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10月 | 任 海軍大尉。 補 八重山分隊長。 |
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11月 | 免本職、補 軍令部諜報課課員。 | ||||
12月 | 叙従七位。 | ||||
1897年 (明治30年) |
6月 | 39 | 免本職、米国留学仰付。 | 30 | |
10月 | 叙従五位。 任 陸軍騎兵大佐。 |
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1898年 (明治31年) |
3月 | 兼補 軍馬衛生会議長。 | 40 | 叙正七位。 | 31 |
6月 | 米西戦争視察のため米国船に乗艦。 | ||||
10月 | 騎兵実施学校長と改称。 長男 信好誕生。 |
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1899年 (明治32年) |
2月 | 41 | 研学のため米国北太平洋艦隊のニューヨーク号に乗艦。 | 32 | |
4月 | 米国留学被免、米国駐在仰付。 | ||||
10月 | 兼補 獣医学校長。 | ||||
12月 | 米国駐在被免、英国駐在仰付。 | ||||
1900年 (明治33年) |
7月 | 補 第五師団兵站監。 義和団事件征圧のため天津へ出征。 |
42 | 33 | |
8月 | 免 英国駐在、補 海軍省軍務局課員。 | ||||
10月 | 免本職、補 常備艦隊参謀。 | ||||
1901年 (明治34年) |
5月 | 第五師団兵站監被免。 補 清国駐屯軍参謀長。 |
43 | 34 | |
7月 | 参謀長被免。 補 清国駐屯軍守備隊司令官。 |
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10月 | 免本職並兼職、補 清国駐屯軍司令官。 | 任 海軍少佐。 | |||
12月 | 叙従六位。 | ||||
1902年 (明治35年) |
6月 | 任 陸軍少将。 | 44 | 35 | |
7月 | 免本職、補 海軍大学校教官。 | ||||
10月 | 叙正五位。 | ||||
1903年 (明治36年) |
3月 | 次弟 西原道一没。 | 45 | 兄 西原道一没。 | 36 |
4月 | 免本職、補 騎兵第一旅団長。 | ||||
6月 | 稲生真覆の三女 李子と結婚 | ||||
9月 | ニコリスクへ差遣。 | ||||
10月 | 免本職、補 常備艦隊参謀 兼 第一艦隊参謀 | ||||
1904年 (明治37年) |
2月 | 日露開戦。 | 46 | 日露開戦。 旅順口外の海戦 |
37 |
4月 | 動員下令。 | ||||
5月 | 曲家店でロシア騎兵を撃退。 | ||||
8月 | 遼陽会戦 三女 勝子誕生。 |
黄海海戦 | |||
9月 | 任 海軍中佐 | ||||
10月 | 沙河会戦 | 叙正六位。 | |||
1905年 (明治38年) |
1月 | 黒溝台会戦 | 47 | 38 | |
3月 | 奉天会戦 | ||||
5月 | 日本海海戦 | ||||
6月 | 母 貞没。 | 母 貞没。 補 連合艦隊参謀。 |
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11月 | 免本職、補 海軍大学校教官。 | ||||
1906年 (明治39年) |
2月 | 帰国。 免本職、補 騎兵監。 |
48 | 39 | |
3月 | 長男 大誕生。 | ||||
4月 | 明治三十七八年戦役従軍記章を授与される。 功二級金鵄勲章を授与される。 |
明治三十七八年戦役従軍記章を授与される。 功三級金鵄勲章を授与される。 |
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1907年 (明治40年) |
2月 | 四女 治子誕生。 | 49 | 40 | |
4月 | オランダ ヘーグに於ける第二回万国平和会議に専門委員として出席。 | ||||
5月 | 次男 固誕生。 | ||||
11月 | 叙従四位。 | ||||
1908年 (明治41年) |
2月 | 50 | 免本職、補 三笠副長。 | 41 | |
5月 | 三男 中誕生。 | ||||
8月 | 免本職、補 秋津州艦長。 | ||||
9月 | 任 海軍大佐。 | ||||
10月 | 特別大演習参謀長仰付。 | ||||
12月 | 免本職、補 音羽艦長。 叙従五位。 |
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1909年 (明治42年) |
3月 | 五女 保子誕生。 | 51 | 42 | |
8月 | 任 陸軍中将。 | ||||
11月 | 免本職、待命。 | ||||
12月 | 補 橋立艦長。 | ||||
1910年 (明治43年) |
4月 | 騎兵操典改正委員仰付。 | 52 | 免本職、補 出雲艦長。 | 43 |
5月 | 長女 少子誕生。 | ||||
6月 | 常磐会寄宿舎監督となる。 | ||||
12月 | 免本職、補 伊吹艦長。 | ||||
1911年 (明治44年) |
1月 | 次男 次郎誕生。 | 53 | 44 | |
3月 | 免本職、補 第一艦隊参謀長。 | ||||
1912年 (大正元年) |
9月 | 仏国派遣大使接伴委員仰付。 | 54 | 45 | |
12月 | 叙正四位。 | 免本職、補 海軍軍令部参謀 兼 海軍大学校教官。 | |||
1913年 (大正2年) |
1月 | 免本職、補 第十三師団長。 | 55 | 46 | |
2月 | 長兄 則久没。 | 長兄 則久没。 | |||
8月 | 四男 全誕生。 | ||||
12月 | 任 海軍少将。 | ||||
1914年 (大正3年) |
3月 | 56 | 叙正五位。 | 47 | |
4月 | 免本職並兼職、補 海軍省軍務局長 兼 海軍将官会議議員。 | ||||
8月 | 補 高等捕獲審検所評定官。 | ||||
1915年 (大正4年) |
2月 | 免本職、補 近衛師団長。 | 57 | 48 | |
11月 | 大正三四年従軍記章を授与される。 | ||||
1916年 (大正5年) |
1月 | 叙従三位。 | 58 | 49 | |
2月 | 免本職、補 朝鮮駐箚軍司令官。 | 免本職並兼職、補 海軍軍令部出仕。 | |||
3月 | 大戦視察のため欧米各国へ出張。 | ||||
6月 | ロシア皇帝より勲章を授与される。 | ||||
10月 | 帰国。 | ||||
11月 | 任 陸軍大将。 | 次女 宜子誕生。 | |||
12月 | 免本職、補 第二水雷戦隊司令官。 | ||||
1917年 (大正6年) |
7月 | 59 | 免本職、補 海軍将官会議議員。 | 50 | |
8月 | 免本職、補 軍事参議官 | ||||
10月 | 次兄 正矣没。 | 次兄 正矣没。 | |||
12月 | 馬政局及軍馬補充部臨時検閲官仰付。 | 任 海軍中将。待命。 | |||
1918年 (大正7年) |
2月 | 弟 真之没。 | 60 | 叙従四位。 2月4日、死去。 |
51 |
1919年 (大正8年) |
2月 | 朝鮮へ出張。 | 61 | ||
3月 | 叙従三位。 | ||||
10月 | 特別大演習西軍司令官仰付。 | ||||
1920年 (大正9年) |
12月 | 免本職、補 教育総監 兼 軍事参議官。 | 62 | ||
1923年 (大正12年) |
3月 | 免本職並兼職。待命。 予備役仰付。 |
65 | ||
4月 | 叙従二位。 | ||||
8月 | 北海道旅行。新田長次郎氏の牧場を視察。 | ||||
1924年 (大正13年) |
4月 | 北予中学校長に就任。 | 66 | ||
1925年 (大正14年) |
4月 | 後備役。 | 67 | ||
1929年 (昭和4年) |
4月 | 退役。 | 71 | ||
1930年 (昭和5年) |
3月 | 北予中学校長辞任。 | 72 | ||
7月 | 上京後に発病。 | ||||
10月 | 陸軍軍医学校へ入院。 | ||||
11月 | 11月4日、死去。 |