序文
学問という概念は、体系や体系的に完成された学説だけに限られるものではない。また、そのようなものだけを指すのではない。本書も体系らしいものはない。ここにあるのは完成された学説ではなく、これから体系を建設するための材料である。
本書の学問的意味は、戦争における様々な現象の本質を究明し、これらの現象とこれを構成している様々な用件の性質との関連を示そうとしたところにある。
著者は常に思考の一貫性を追求した。しかし、この思考の糸が次第に細くなり消滅しそうな場合は、ここで一度この糸を断ち切り、これに対応する経験的現象につなぐことにした。植物は枝葉が繁りすぎると却って実を結ばないものである。同様に、実生活における様々な技術にしても、理論的な葉や花をはこびらせすぎてはならない。理論は常にこれら技術の本来の土壌である経験の近くに置かれなければならないのである。
小麦の粒を分析して得た化学成分に基づいて、これから発育する穂の形態を究明する試みは無意味である。穂の形を見たければ、小麦畑に行けばよい。研究と観察、理論的思考と経験とは、互いに軽蔑し合ってはならず、また排斥し合うべきでもない。理論は経験を保証し、経験は理論を保証する。
著者は戦争に関する考えや経験を基に形成されたものを、純粋な金属粒として与えるという方法を選んだ。後日、著者よりも優秀な理論家が現れ、著者が与えたいくつかの金属粒の代わりに、純粋な金属から成る全体を与えるであろう。