福岡市の繁華街「天神」は、江戸時代は福岡藩士の武家屋敷が建ち並んでいた場所です。福岡藩出身の明石元二郎もここで誕生しました。明石の生家は今の西鉄グランドホテルの近くにあったようです。
天神駅から徒歩数分のところにある勝立寺。ここには明石のお墓があります。門から入ってお寺の方に「明石元二郎のお墓があると聞いたのでお参りしたいのですが・・・」と声をかけたところ、ご住職が出てきて案内していただけました。
敷地内には明石家歴代当主の墓石、分家の墓石が建ち並んでおり、明石の墓石もその中にありました。元二郎は分家出身ということで墓石の五輪塔も本家当主より小さめ(高さ2m程度)ですが、ご住職によると「今は一般人でもこれくらいの墓石は買えますが、当時はこの程度のものでもかなりお金がかかったので、明石のような地位の人でなければ立てられませんでした」とのこと。このほかにも、もともとは明石の妻のお墓として建てられたこと、明石の遺骨は遺言で台湾に埋葬されているのでここには遺髪と爪が納められていること、戦前は福岡市内に明石の銅像があったが金属供出で撤去されたことなど、ご住職から15分ほど説明を受けました。
帰り際にはお寺のパンフレットも頂いてきました。それによると勝立寺には明石揮毫の額、西南戦争時の征討総督本営跡碑もあるとのことでした。西南戦争で征討総督となった有栖川宮熾仁親王が福岡城ではなくこのお寺に本営を置いたのは、旧藩主が島津家出身であったことが理由のようです。