病床で見た夢

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 日々の痛み、苦しみを一時だけでも忘れさせてくれる夢。子規は病床で見た印象的な夢のいくつかを書き残している。


 昨夜の夢に動物ばかり沢山遊んで居る処に来た。その動物の中にもう死期が近づいたかころげまはつて煩悶(はんもん)して居る奴がある。すると一匹の親切な兎があつてその煩悶して居る動物の辺に往て自分の手を出した。かの動物は直に兎の手を自分の両手で持つて自分の口にあて嬉しさうにそれを吸ふかと思ふと今までの煩悶はやんで甚だ愉快げに眠るやうに死んでしまふた。またほかの動物が死に狂ひに狂ふて居ると例の兎は前と同じ事をする、その動物もまた愉快さうに眠るやうに死んでしまふ。余は夢がさめて後いつまでもこの兎の事が忘られない。 

(墨汁一滴 明治三十四年四月二十四日)



 夢の中では今でも平気に歩行(ある)いて居る。しかし物を飛びこえねばならぬとなるといつでも首を傾ける。 

 (墨汁一滴 明治三十四年五月十五日)



 梅も桜も桃も一時に咲いている、美しい岡の上をあちこちと立って歩いて、こんな愉快な事は無いと、人に話しあった夢を見た。睡眠中といえども暫時も苦痛を離れる事の出来ぬこの頃の容態にどうしてこんな夢を見たか知らん。

(病牀六尺 明治三十五年八月十日)