人智の向上と共に、各種戦闘機関も年々歳々発達し、遠き昔に顧みれば、棒切れが刀となり、刀が槍となり、弓が銃となり、銃が砲となるが如く、次第々々に進化し来ったものであるが、最も著しく格段の進歩を見るは、概して大戦争の後である。その故は、平時より工夫された各種兵器が、実地の戦場に試験されて、その効力が検定せられると同時に、交戦の目的を達するため、各交戦者が智力を絞りて、新案を作り出すからである。過去の日露戦争後に於いても、陸海軍兵器の進化は実に顕著なるもので、海軍の如きは、この戦役を限界として、その前後に隔世の感ある程である。即ち同じ十二吋(インチ)砲でも、日露戦争当時のものと、その後出来たものとは、効力に於いて二倍以上の差あるのみならず、さらに十四吋径に進み、その効力が四倍以上に増している。また、艦隊を防御する甲鉄も、日露戦争当時の十吋甲鉄は今日の六吋甲鉄にも及ばず、機関には「タービン」が応用されて、艦船の速力が著しく増進し無線電信の如きは、四百浬(ノット)の通信距離が六千浬即ち十倍以上に延長している。されば日露戦争以前の艦艇は、今日に至り実際有るも無きも同様で、それ以後に現れた、所謂弩級艦が新主力を成し、これに大型駆逐艦、潜水艇、飛行機等が新たに加わりて、ほとんど全部その性質を異にしたる新海軍を型造するに至り、この戦争以前の旧式軍艦は勘定外に除き、各国共に新規に新海軍を創造せねばならぬ始末となったのである。
陸軍に於ける兵器の進化は海軍程ではないが、これまた大いに従来の面目を改めて居る。その歩兵騎兵等は日露戦争まで一兵一銃主義の武装であったのが、その大隊もしくは中隊毎に若干の機関銃を増附し、その戦闘力は従来の一倍半乃至(ないし)二倍に増進した。またその砲兵も、砲その物に著しき改良ありたるのみならず、野戦重砲隊の建制をも見ることとなり、攻城砲に至りては、更に一段の進歩を遂げ、今次の大戦に独逸が始めて持出した、四十二珊砲の如きは、戦場に持ち来ると直ちに打出し得る砲架仕掛けで、野戦にもこれを利用され、実に偉大なる威力を発揮して居る。二十八珊の要塞砲を攻城に持出し、砲床を築きて打出すなどは、日露戦争では新機軸であったが、この四十二珊の貨物に対して最早顔色ないのである。安府の堅塞が僅々三日で陥落したのもこの怪砲のためで、しかもこれが開戦まで秘密にせられ不意に飛び出されたから更にその効力を倍加せる訳である。その他飛行機、陸上無線電信機あるいは軍用自動車の如きも、日露戦争にはなかったもので、これらはいずれも偵察とか通信とか運輸となどの隠れた仕事をしているから、未だその効用の如何を伝えられないが、実際は今度の戦争に少なからぬ能力を発揮しているのである。
以上は過去が生みだした現時の進化であるが、さて今度の大戦が済んで、将来の兵器が如何に進歩するであろうか。自分の想像ではこの戦争が有史以来未曾有の世界的大戦争であるだけに、その結果に依りて生ずる兵器の進化も、また甚大なるものがあるだろうと信ずる。兎に角専心注意して欧亜の海陸に於ける大小の戦争を観察し、他日の兵器改良の資料を蒐集し、以て武備の実力に欠陥なきようにならぬ。
さて海軍に於いては、今日までの処格別の大海戦がないから、未だ何とも、判断は付かないが、已に潜水艇は北海方面にてもまた波爾的(バルチック)海にても著しき奇功を現わしている。現に一隻の独逸潜水艇が、瞬く間に英国装甲巡洋艦三隻を続連撃沈したるが如き、確かに一大異績で、潜水艇の価値は大いに認められたが、現下欧州の海面で、各交戦国数百隻の潜水艇が活動しつつあるより考察すると、その奏功率は未だ思ったほどに多くないようである。元来潜水艇の効力が駆逐艦の上へ出でざりしは、主としてその速力の足らざる点にありて、今日迄の発達程度で、その最大速力は実際水上にて十八節(ノット)、水中にて十節位であるから、洋中に航走せる最新弩級戦艦(最大速力二十節以上)に追窮して、これを攻撃するの脚力がないのである。されば最近独逸潜水艇の奏功も敵艦が漂泊停止せるか、或いは徐行して居た場合のみに起こったものである。然し、潜水艇の速力を増進するは、各国造船家の苦心焦慮せる処で、またこの戦争で一層の智慧を絞りて、工夫するだろうから、戦後否戦争の終期に至れば、多分二十節以上の潜水艇が現出するであろう。もしその速力にして二十五節に達するを得ば、潜水艇の戦闘能力は駆逐艦を凌駕するに至らんかと信ずる。またこれに対して今後の考慮を要するものは戦艦、巡洋艦等の水中防御である。今日までの軍艦は、主として敵弾に対し、水際及び水上舷側に厚き甲鉄を張ったものであるが、一発の水雷で不意に撃沈さるる場合多きものとすれば、更に水面以下に於いて外部もしくは内部に適当の防御法を施す工夫を凝らさねばならぬ。左すれば自然重量も増加するから、砲装を少なくするとか、装甲を薄くするとか、或いは速力航続力を減ずるとか、兎に角戦艦の構造に多少の変化を来すであろうと思う。世には已に潜水艇万能論者もありて、高価なる戦艦一隻を造らんよりも廉価の潜水艇十数隻を得るに如かずと唱える人もあるが、それは未だ早すぎるようである。如何にも一隻の小潜水艇が、三隻の大艦を一時に撃沈するが如き実例も現れたが、これは所謂奇行で、何時も斯くあるべきものでもなく、完全にこれを攻勢的に応用し得る迄には未だ中々その発達距離があるから、やはり主力たる戦艦あっての潜水艇で、潜水艇ばかりで攻勢作戦を行う訳に行くものではない。
飛行機飛行船等もまた今度の大戦に初めて用いられ、爆弾投下で大分威嚇的効力を顕して居るが、その爆弾の搭載数量に限りがあるのみならずその命中効率も少なきため、破壊機関としては未だ大砲にも水雷にも遠く及ばないようである。然し偵察捜索及び弾着観測の機関としては、上から見卸すだけに、これまでにない偉大の効力を発揮して居る。これもなおその機体を軽く且つ大にして、乗員と兵器の積載力を増加し得るに至ったなら、更に一層その効用を大にするであろう。
兎に角潜水艇と云い飛行機と云い、今度の戦争が初舞台で、末だその応用の初期に属しなお発達の前途は遼遠と云うべきものである。然し人智の向上には際限なく、今に戦艦が水中を潜り、巡洋艦否な巡天艦が空中を飛行する時代が到来して、平面戦闘が立体戦闘に推移すべき筈で、一戦を経る毎に一歩一歩とその階段を上りつつあるのである。
翻って陸戦の状況を見るに、戦闘の遣り方も大分変って来たようで日露戦争当時よりすでにその傾向を呈して居た、広正面(百海里以上)の野戦は、最早常式定規の如くなって仕舞った。蓋しここに至った所以は、火器の進歩せるため中央正面の突破が益々六ヶ敷なって、対抗軍の双方供に敵の側翼を衝かんと欲し、自然に自己の両翼を展張するからでもあるが、また飛行機を以てする捜索偵察の能力が著しく進歩して、対抗両軍の兵力も運動も、手に取る如く双方に早く分かり、一方が兵力を増加すれば、他方にても直様これに応ずるの用意をなし、以前の如く自己の兵力と行動とを隠蔽して、敵の不意に出で、その備えなきに乗ずるなどの仕事が愈々困難となり、為に唯だ正面を拡張し、正味の実力を以て正々の対抗をするの已むを得ざるに至った結果であろう。斯く正面が広がりて数十個の軍団が二百里にも亘り展開して戦闘するようになっては、二日や三日ではその正面を変えることはならず、此方で一翼増兵すれば、彼方でも直ぐにこれに対するだけの増援をなし、去りとて無理に平押しの正面攻撃をすれば兵力の損失のみが多く、廻るにも廻られず叩くにも叩かれず押すにも押されず、唯だ四ツに組んで手の出し様がないというのが、先ず現下仏独国境または独露国境付近に於ける陸戦の真相で、双方共に激戦に激戦を重ね、随分人も殺し、弾丸も費やして居る割合に、戦況の変化せざるもこれが為であろう。
斯くなって来ると、戦闘の勝敗は唯だ兵力の優劣のみで決する訳だが、その兵力の優劣が主として兵員の多寡であるか、或は兵器の鋭鈍であるか、未だ疑問に属し、なお今後の戦績経過と、戦後の戦績調査とに依り研究決定せねばならぬ。然し、すでに前段にも述べたように、四十二珊の如き砲車式巨砲が攻城にもまた野戦にも用いらるるものとすれば、これまでの野砲はこれに比して小銃も同様で、遂には砲兵が陸軍の主兵となりて歩兵は補助兵となるかもしれぬ。また歩兵も益々その機関銃を増加し、単純なる一人一銃主義で押し通す訳にも行かぬようになりますまいか。また飛行機隊が彼様に能く偵察操作の任務に当たるとすれば、騎兵の主務はこれに奪われ、却って乗馬歩兵即ち運動力の大なる銃隊として、今日の騎兵を利用し、これに騎兵砲を加えて一種の騎兵師団(欧州には已に在生すれども)を形成するであろう。その他兵員に比し銃砲数の増加するに従い弾薬の補給が益々面倒となり後方勤務の組織に大革新を来すこととならん。固より槍や刀だけならば、弾薬補給の面倒は少しも無い様であるが武器の進歩に伴い、後方勤務の益々複雑となるのは自然の趨勢である。
これらは先ず近き将来に於ける海陸軍兵器の進化に就いての予想で、さらに遠い将来を望めば、矢張り飛行機飛行船の発達に制圧せられて、終には地面執着せる陸軍も、また水面を離れることのできぬ海軍も、共に無用無能の廃物と化し去り、所謂天軍万能の時代となるであろう。これを想えば、実に後世は恐るべきもので年々歳々時々刻々に変遷しつつある事物の進化に留意し、真理を履んで、能くその当時に適切なる施設と準備とを怠らぬものが、最終の勝利を占むるようになるのである。(大正三年十月)