ここ数年の間、我歴代の海軍当局に依り、終始一貫して年々要求せられ、しかもなおその完結を見ざるは海軍の補充である。この補充の意義に就いては、往々世間に誤解せられ、我海軍当局が、補充なる名目の下に海軍拡張を行って居るかの如く、邪推せる人士も少なく無いようであるが、読んで字の如く、補充とは欠損亡失を補充する用語で、毫も拡張の性質を帯びたるものではない。即ち海軍の補充その本体たる、艦艇の欠損亡失を補足し、永遠に一定の兵力を維持するの趣意で、その補充の標準となるべきものは、艦艇の常備隻数と、艦艇各個の存続年限即ち所謂艦齢とである。人間に寿命ある如く、軍艦にもまたその保存期限があって、年月の経過に伴い次第に老朽し、終には廃艦となって消滅するのみならず、時には戦闘災厄等の原因により、艦寿を全うせずして中途に死亡するものもある。この廃艦亡艦等を補充せざれば、海軍はある年月の後に全滅して、跡片も無くなるのは云うまでもないことで、そこに海軍補充の必要が起こるのである。我海軍に於いて右の艦齢は、二十五年としてある(他列国の艦齢は大抵二十年)。この二十五年を三期に区分し、最初の八年間が艦齢第一期、次の八年間が第二期、最後の九年間が第三期となって居って、これを終われば廃艦免役となること、恰も陸軍にて現役、予備役、後備役を了れば兵役免除となると同様で、ただ海軍では艦船を本位とし、陸軍は人間を本位としてあるだけの相違である。然らば海軍の補充は如何なる方法に依りて施行さるると云うに、これまた陸軍に於ける新兵器補充と等しく、年々若干の新艦を建造し、これを艦齢第一期(即ち陸軍の現役に相当す)の艦籍に編入すると同時に、在来の第一期艦中より年限超過のものを第二期(即ち予備役)に編入し、艦齢満期即ち二十五年を経過したるものは、廃艦となって退役となる次第である。即ち海軍の補充は、陸軍の新兵補充と同一原則に拠れるものにて、決して拡張または増兵の性質を有するものではない。故にもしこの年々の新艦補充を怠るときは、海軍は漸次に減耗して、二十五年の後には全軍悉く零無に帰し、ただ艦殻檣片の形骸を止むるに過ぎざるものとなる訳で、その補充が遅るるだけ、それだけその期間に於ける国防力の欠損を増大し、外国に対し、一時国家を異常の危険に陥らしむると同時に、数年に積み重なりたる補充艦艇の多数を一時に建造するには、国庫の支出に急激の増加を来たすのみならず、内地の製艦力にて、これに応じ切れざるを以て、多額の製艦費を国外に投資するの已むを得ざる結果を来たすのである。されば、海軍補充は、原則として陸軍の新兵器補充と同様に、年々歳々間断なくこれを続行し、常に一定の兵力を充実して、国防上寸毫の欠陥なからしめねばならぬもので、決して長年月の間に溜まりたる多大の欠損を、思い出したように一時に補充するものではなく、また到底一時に補充し得らるるものでもない。
回顧すれば日露戦争当時に於いて、我が海軍は実に左の如き艦齢第一期の新鋭艦艇を揃えて居たのである。
一、戦 艦 六隻
二、装甲巡洋艦 八隻
(備考)開戦の際臨時に購入したる日進春日の二艦を含む。
三、軽巡洋艦 七隻
四、駆逐艦 二十四隻
(備考)戦時中に新艦十六隻を急造し戦役中に竣工し四十隻となれり。
五、水雷艇 六十二隻
これら艦齢第一期の新艦即ち陸軍で云えば、年少気鋭の現役兵が、東郷大将統率の下に、連合艦隊の主力となって、戦列第一線に立つことを得たから、我に倍加せる露国の海軍を前後二回に攻撃して殆どこれを全滅し、以て帝国を泰山の安きに置いたので、我が国民はかの戦勝を祝すると同時に、かの新鋭艦艇を能く充実し得たる、我が海軍先輩の功労を記念せねばならぬ次第である。然るに爾来年月を経ると共に、当時の新鋭戦艦も漸次艦齢第二期または三期に入りて、予備後備の役となり、しかも現役新兵の補充が十分に続かざるため、十年後の今日(大正三年)に於ける艦齢第一期の艦艇は、実に左の如き少数に減退したのである。
一、戦 艦 四隻(薩摩、安芸を含む)
二、巡洋戦艦 五隻(鞍馬、伊吹、生駒を含む)
三、軽巡洋艦 四隻
(備考)右の内戦艦、巡洋艦、軽巡洋艦各一隻は、将に艦齢第二期に老入せんとしつつあり。
四、駆逐艦 七隻
五、水雷艇 〇
六、潜水艇 六隻
(備考)今日の巡洋艦は、従前の装甲巡洋艦の立場をとり、また潜水艇は水雷艇に代わりて海岸防御の任に当ることとなれり。
戦列の第一線に立つべき、艦齢第一期の艦艇が、斯く不足し居りては、実際艦隊を編成せんにも、編入すべき艦隻なく、やむを得ず、新旧取り混ぜて数を充たせば、全隊の脚並が揃わず、口悪き外国新聞が近時の日本艦隊を見本艦隊《サンプルスコードロン》と冷評するも、決して嘲罵ではないのである。尤も艦齢第二期および第三期即ち予備の艦艇は、以前に比して増加しては居るが、軍艦の予後備は、所謂時代遅れで、攻撃力も、また速力も、格段に劣って居るから、陸軍の予備後備兵が現役に交じりて、第一線に立つ様な真似は、到底出来ないのである。
苟《いやし》くも国家を憂い、国防の大切なるを感ずる人は、試しに前掲の日露戦争当時と今日との、艦齢第一期即ち現役艦隊の隻数を対比さるべし。その数字の懸隔を見て如何に帝国の国防が危険に瀕しつつあるかと知るに於いて、思い半ばに過ぐるものあらん。実にこんにちは、我国防欠陥の絶頂にして、国運変転の最大危機である。しかも我がこの弱点は、掩《おお》わんとするも掩う能わざるもので、苟も数字を読み年齢を数え得る者には、内外人の別なく分かり切った事実である。斯かる危険の際に於いて、図らずも世界の大戦乱となり、その渦中に飛び入りするの已むを得ざる始末となったのであるが、幸いに東洋にある敵の艦隊が微弱で、先ず当分は増勢の見込みもなく、且つ来春に入れば、榛名、霧島の二大巡洋艦と曩《さき》に軍国議会に臨時補充を要求されたる、十駆逐艦が竣工するから、ここに初めて幾分かこの危険を脱し得る次第である。
我海軍補充の近況は大概こんなもので、なお将来に於いてもその補充を急がねばならぬのであるが、斯く我国防を危険ならしめたる主な原因は、年々間断なく継続されるべき補充事業が、度々の政変予算不成立等のため中途でしばしば頓挫したるのみならず、前段にも述べ置いた、常備兵の充実の原則に基ける海軍補充が海軍拡張と混同せられて、可否の議論の種となり、甚だしきはこれを陸軍拡張の増師問題と対照して、偏重偏軽の比較などをされるからである。補充は補足で、、拡張は増加なり、意義に於いても、また実質に於いても、明白にその分別ありて、決して混同対比さるべきものではないのである。
斯く海軍の補充は拡張にあらずと云えば、或は現に補充しつつある艦艇は常に、その旧艦よりも勢力を増大し、隻数には変わりなきも、噸《トン》数は増加して事実上の拡張になるにあらずやと反問する人もあるけれども、それは海軍兵力の単位と兵器の進歩とを知らざるものに、有り勝ちの謬見《びゅうけん》である。聊《いささ》か左にその事由を説明せんに、海軍兵力の単位は、世界何国の海軍に於いても、艦艇の隻数を基準とし、空寞《くうばく》たる噸数に準拠するものでない。例えば軍艦八隻を以て一戦隊(即ち一ヶ戦衝単位)を編成し、駆逐艦四隻を以て一駆逐隊を編成し四箇駆逐隊を合わせて一水雷戦隊(即ち一ヶ戦衝単位)を編成すると云うが如きものである。されば先帝陛下の御代に、国防兵力の標準を御治定になったときにも、また過般の防務会議の提案等に於いても、凡て我海軍兵力の単位は、正確に隻数を基準とせられ、往々世間に誤伝されたる五十万噸標準の如きは全然根拠のなき抽象説である。斯く隻数を基準として数年に亙り常備艦隊の補充を続行する間に於いて、海軍の兵器は、駸々《しんしん》として容赦なく長足の進歩を為すが故に、大なる意味に於いて一種の兵器たる艦艇が、補充の度ごとに漸次進化してその力量を増大するのは、時勢上已むを得ざる次第で、この進化のため、基本の隻数を減少することは、艦艇編成の建前より云うも、また列国海軍との釣り合いより見るも、到底出来得べからざることである。即ち世運の発達に伴える艦艇その物の進化を、海軍拡張と看做すのは不合理と云わねばならぬ。もしこれを合理なりとせば、例えば陸軍に於いて単発銃を連発銃に代え、旧式野砲を新式の三八式に改めるとか、或はまた歩兵大隊に機関銃を増加し、砲兵中隊の砲数を増加するが如き、各単位内に於ける、実質の増勢は皆陸軍拡張と云わねばならぬ訳である。兎に角所謂拡張なる用語の内には、右の如き兵器の進歩を含有して居らぬので、矢張り師団とか連隊とか云う如き、兵力単位の増加を意味するものである。
これを要するに、海軍の補充は決して拡張の性質を含有せずして、従前より存在せる常備艦隊が、年月と共に朽廃するのを順次に補足するものである。而してこれが実行は継続費を以てすると否とを問わず、毎年徐々に間断なく一定の速度を以て進行せしむるを原則とし、中途にて休止したり、また俄に急促したりするものではない。これ国内の造船力量を均一かつ完全に使用して、工業の経済を維持し、国貨の流出を予防し得る所以たるのみならず、緩急定めなき世界の現勢に応じ、如何なる時機に於いても、進取退守の要求を満たし得る唯一の方法である。今や天下戦国千載一遇の機運に再会し我が帝国の海軍がその補充の停滞より、相対勢力低落《シンチーブストレングス》の極度に陥りたることは、我々軍人の切実に遺憾とする処である。
(大正三年十一月 新聞紙上掲載)