子規は「明治二十九年の俳句界」(明治29年1月2日〜3月15日)の中で、「一個人には一個人の特色あり、一時代には一時代の特色あり」と前置きしたうえで、新調を作る原動者の代表として碧梧桐と虚子2人の句風を紹介している。
子規は碧梧桐の句を「印象の明瞭なる句」と評し、その写生的句風を称賛した。その後、子規はさらに絵画を例に、「印象明瞭」、「写生」の重要性というものを説いていった。後年には新傾向俳句、ルビ俳句などに傾倒していく碧梧桐であるが、この当時は子規が提唱する「写生」の概念を忠実に具現化している。
『碧梧桐の特色とすべき所は極めて印象の明瞭なる句を作るに在り。印象明瞭とはその句を誦する者をして眼前に実物実景を観るが如く感ぜしむるを謂う。故にその人を感ぜしむる処、恰も写生的絵画の小幅を見ると略々同じ。同じく十七八字の俳句なり、而して特にその印象をして明瞭ならしめんとせば、その詠ずる事は純客観的にして且つ客観中小景を擇(えら)ばざるべからず。
赤い椿白い椿と落ちにけり
椿の句の如きこれを小幅な油絵に写しなば只々地上に落ちたる白花の一団と赤花の一団と並べて画けば即ち足れり。蓋しこの句を見て感ずる所、実にここだけに過ぎざるなり。椿の樹が如何に繁茂し如何なる形を成したるか、またその場所は庭園なるか、山路なるか等の連想に就きてはこの句が毫も吾人に告ぐる所あらざるなり。吾人もまたこれ無きがために不満足を感ぜずして、只々紅白二団の花を眼前に観るが如く感ずる処に満足するなり
乳あらはに女房の単衣襟浅き
乳あらはにの句は女の半身像と見て可なり。これまた殊に妙味あるに非ずして普通の事を上手に写したるものなり。
白足袋にいと薄き紺のゆかりかな
白足袋の句に至りては瑣事中の瑣事、小景中の小景にして画も写すこと能はず。俳句もまた今ほど斯くばかりの小事を詠じたる事無し。
かんてらや井戸端を照す星月夜
星月夜の大観に反映せしめながら、なお一人かんてらを執って井戸端に立つ処、四囲暗黒の中に在りて井戸の片側と人の反面とが火に映じて極めて明瞭なる印象を生ずるを見る。』
〜 『明治二十九年の俳句界』より一部抜粋 〜
子規は「明治二十九年の特色として見るべきものの中に、虚子の時間的俳句なる者あり。」と述べ、その例として下記の四句を挙げている。
『例えば
の如き、また
前者の時間は現在にして後者の時間は過去および未来である。現在は短くして過去、未来は長し。前者の如く現在の時間に接続する者を仮に名付けて客観的時間と謂い、後者の如く過去または未来の時間を以て現在と連接せしむる者を仮に名づけて主観的時間と謂う。』
〜 『明治二十九年の俳句界』より一部抜粋 〜
そして子規は客観的時間を詠んだ古句として「うす曇り同じ空にて日の永き(去来)」「名月や池をめぐりてよもすがら(芭蕉)」「をちこちこちと打つ砧かな(蕪村)」をあげ、これらの句は活動、即ち空間の変動が無いか、あったとしても緩慢、単調であると評したうえで、虚子の特色を次のように評している。
『虚子の客観的時間を現したる句は上に挙げたる古句に比して遥かに複雑なる変動を現したり。これ虚子の句が古人以外に在りて時間に於ける一種の特色を成したる所なり。』
〜 『明治二十九年の俳句界』より一部抜粋 〜
また、主観的時間を詠んだ古句としては「永き日の積りて遠き昔かな(蕪村)」「来年は来年はとて暮れにけり(露川)」をあげ、これらの句は現在と同じ過去・未来を推及したり、現在の事実の結果として有り得べきことを言うに止まったものであると評したうえで、虚子の特色を次のように評している。
『虚子の主観的時間を現したる句はこれ等の句と異なり。現在の事と同じ過去、未来の事を言うにもあらず、将に現在の事の原因結果として来るべき必然の事、または普通あり得べき事を言うにもあらず。却って現在の事よりしては読者が想像し得ざる程の無関係なる事(天然的に無関係なるを言う)を挙げ来りて(偶然なる)特殊の関係を付けたるなり。雨中に笠著たる人を見て誰かその笠を案山子の笠なりと想像せんや、而して虚子はここにこの特別の場合を取り来りしなり。廃寺の月を見る人をして誰がこの寺の住持なるべきを想はん、而して虚子はこの特別の場合を取り来りしなり。これ虚子の句が古人以外に新機軸を出だしたる所なり。』
〜 『明治二十九年の俳句界』より一部抜粋 〜
< 続く >