出身地 |
海軍兵学校 |
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生没年 |
1848年〜1932年 |
海軍大学校 |
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最終階級 |
日露戦争時 |
舞鶴鎮守府司令長官 |
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独断に秀でた方山路一善は昭和10年の座談会で次のように証言している。「日高長官は砲術の大家でありまして、開戦前に我艦隊の砲術を急速に上進せしめたのは全く同長官の卓見に因るもので、また戦術についても大なる見識を有した方であります。従って独断に秀でた方であります。これがしっくり中央部と心の中が合わなかったと存じます。東郷さんは中央の意見を必ず聞く人で、自分で中央の意に添わない独断専行をしない人である。日高さんや村上(格一)さんは ― 誰しも外へ出ていればそういうように考えるものでありますが、中央がその位考えて戦いをしようという時、出先の人にそういうことをやられては戦いがおぢゃんになってしまう。」「どうしても中央の意見を出先の者が考えて置かなければ、これから後の大戦には非常な間違いが起こります。余計なっことでありますけれども申し上げておきます。」 |
出身地 |
海軍兵学校 |
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生没年 |
1868年〜1904年 |
海軍大学校 |
− |
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最終階級 |
日露戦争時 |
朝日水雷長 |
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詳細情報広瀬のエピソードは個別ページ「広瀬武夫」に掲載。 |