日清戦争実記には軍人の肖像写真・戦場写真の他に、明治時代の城郭写真も掲載されています。その後の戦災などで失われた建築物もあり、当時の様子をしのぶ興味深い資料です。
江戸城。現在の皇居。日清戦争実記のキャプションでは「東京城」と記載されていますが、実際にこの名前が用いられたのは新政府軍に引き渡された慶応4年から1年ほどの期間だけのようです。日清戦争当時は「宮城」と称されていました。
世界遺産にも登録されている姫路城。この写真では分かりにくいのですが、天守は江戸時代から若干傾いていたようです。明治43年の大改修では予算の都合が足りず、傾きの進行を止めるのが精いっぱいだったとのこと。
西南戦争では主戦場の一つとなった場所で、若手将校だった児玉源太郎、奥保鞏、小川又次、川上操六らが立て籠もっていました。天守は薩軍に包囲される前に原因不明の出火で焼失。この写真は維新直後のものと思われます。(関連記事:その他の関連史跡)
太平洋戦争で焼失してしまった名古屋城天守閣。敷地内には乃木希典の名古屋鎮台在任中に建てられたといわれている「乃木倉庫」が残っています。(関連記事:その他の関連史跡)
島津氏の居城。建築物の大半は明治初期に焼失してしまったため、現在は石垣しか残っていません。石垣には西南戦争当時の弾痕も残っています。(関連記事:鶴丸城)
独眼竜 伊達政宗の居城。写真中央に見える大手門と隅櫓は太平洋戦争中の空襲により焼失。現在は隅櫓のみ再建されています。ここに松川敏胤の記念碑があるそうです。
明治初期、取り壊し中の小田原城天守を外国人が撮影。明治時代の廃城令によって多くの城郭が失われたのは残念なことです。