東鶏冠山北堡塁の再現図
赤線部分の断面は下図のようになっています。
〜 「明治卅七八年日露戦史」 付図第六巻 第九 〜
鉄条網を突破して外壕へ進入した日本兵は前方の胸墻と後方の側防窖室から挟撃され、ここで死体の山を築くことになりました。側防窖室というのは壕に進入してきた敵を掃射する防御施設です。ここは直撃弾の被害を防ぐために土砂で掩蔽されていることもあり、攻撃側からは全く見えません。
前ページに載せた写真はこの外壕部分です。
右が側防窖室。左の斜面上にはロシア軍の陣地がありました。
側防窖室は地下通路(再現図の黄色の点線)で中央の陣地とつながっています。
また、側防窖室は2方向から掃射できるようにM字形になっています。
〜 「明治卅七八年日露戦史」 付図第六巻 第九 〜
爆破孔から撮影した側防窖室の内部
見学中のツアーメンバー。窖室がいかに大きなものであるか分かると思います。。
窖室の壁面には100年前の激戦を物語る弾痕が数多く残されています。この場所に立つと、歩兵による肉弾攻撃がいかに無謀なものであるかがよく分かります。