海軍兵学校へ

坂の上の雲 > 人物 > 秋山真之 > 海軍兵学校へ

真之の兵学校入学動機

 明治19年、真之は大学予備門を中退し、海軍兵学校に入学した。海軍兵学校入学の動機については、はっきりした事は分かっていない。同郷の友人である柳原極堂は、この当時のことを次のように回顧している。

 ある日、僕が正岡を訪ねると秋山が居ない。「秋山はどうしたのか」とたづねると、「秋山は方針を変えた。年々学生がどんどん殖えていくのを見て、−きっと将来は大学出があふれるだろう。そうなると我々も悲観せざるを得ん− といって海軍兵学校に行った」と正岡は言った。

 また、真之の伯母は、好古が「自分は陸軍だし、海軍は比較的志望者が少ないから、弟は海軍の軍人にした方が良い」と考えて真之に入学を勧めたこと、さらに真之が兄に学費の迷惑をかけたくなかったという考えがあったと思われること、この二点が入学の動機というように語っている。

 「坂の上の雲」でも、真之の入学の動機は上記のような理由で描かれている。


桃太郎の昔話の影響

 一方、真之の長男 大と兵学校での同期生である森山慶三郎は、好古の勧めの他に、真之が父 久敬から聞かされた昔話「桃太郎」の影響もあったのではないかと語っている。


 父は初め学問を志して大学の予備門に入ったが、中途で伯父の指示に任せ、海軍軍人となったのであって、決して国許に於いて水軍の兵法伝書を受け継いだのでもなかったただ漠然と、自然と祖父から聞かされた昔話通にその生涯を通して来たのであった。しかし私には、何だかそのほうが、切っても切れない故郷の魂のつながりだったような気がする。

<秋山大「古代発見」より> 



 秋山が予備門を中途退学して、兵学校に入るようになったのは、兄秋山好古将軍の勧誘に基づくと云われる。
 しかしまた、彼の厳父もまた幼少時、海軍思想を注入したと秋山自らが記入している。それによると、桃太郎の鬼ヶ島征伐に対して、厳父は、特殊の解釈をつけて、秋山に吹き込んでいる。
 
(「桃太郎」の本文は省略。本文については「父の昔話」を参照)
 秋山は余程、この教訓に動かされたと信ずべき理由がある。惟うに彼が海軍を志したのは、兄好古将軍のすすめと、厳父によって植え付けられたこういう海事思想の発芽の結果ではなかったろうか。(中略)五十年の後、米国と日本とその位置をかえんと期したる遠大な企画も鬼ヶ島物語から出発していると思うと、一層興味深い。

<「秋山真之将軍 世界的偉人」に収録されている森山の回顧談>