正岡子規と秋山参謀

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【明治三十八年七月一日発行 ホトトギス所載】  高浜虚子

  子規居士と茶談中、同郷の人物評になると、秋山真之君に及ばぬことは無かった。秋山君は子規君と同年か若くても一歳位の差で、同郷同窓の友(松山では固より、出京後でも共に一ツ橋の大学予備門に学び、後ち秋山君は海軍兵学校の方に転じたのである)として殊に親しかった。尤(もっと)も余は秋山君とは別に交わったことはない。初めて同君を見たのは松山に同郷会というものの出来た年で、恐ろしい眼付きをした鼻の尖った運動上手な人だと思った位の事であった。その後、お囲い池の水練場で秋山君は真裸で「チンポが痒うていかん」といいながら砂を握って両手で揉まれた事を記憶して居る。君の父君と余の父とは旧藩の時分の御同役といったような関係から、父君はよく宅へ来られた。やはり君と同じく鼻の尖った快活な大きな声をして談笑せらるる好きな面白いおじさんであった。そういう関係から、「秋山の息子は皆ええ出来で、八十九さんは仕合わせじゃ」というような話を初め、君についての種々の噂を父や父の友達の人々の口から聞いて居って、なつかしく思って居った。しかし砂でチンポを揉むような男らしいことの出来ぬ自分はとても淳さん(真之君)には寄り付けんものと諦めて居った。
 その後、淳さんは山路の春さん(海軍中佐山路一善君)と一緒に海軍兵学校を優等で卒業して、何でも水泳の競技の時、何里かの海を泳いで淳さんが一番、春さんが三番であったそうな、というようなことを中学校の三四年級の時分に聞いて、いよいよえらい人ぢゃと思っていた。その後は別に記憶にとどまるようなことも無く、日清戦争のすんだ時分、子規君の話に、秋山がこないだ来たが、威海衛攻撃の時幾人かの決死隊を組織して防材を乗り踰(こ)えてどうとかする事になって居たが、ある事情のため決行が出来なかった、残念をしたと話して居たと、言われた。余はチンポを砂で揉む勇気から言えばさもあるべき事と心に留めて聞いた。その後、亜米利加に留学せられた事、あちらから毛の這入った軽い絹布団を子規君に送られた事(この布団は子規君の臨終まで着用せられたもの)、大分ハイカラにうつっている写真を送って来られた事、留学前に、ある席上で正岡はどうして居るぞな、と聞かれ、この頃は俳句を専門にやって居るのよというと、そうかな、はじめはたしか小説家になるようにいうとったが、そんなに俳句の方ではえらくなっとるのかな、兎に角えらいわい、といわれた事を記憶している。この留学中に子規君の病気はだんだん進んで来て、枕許で談柄に窮した時などにはよく同郷人の人物評をやった。子規君の口にかかると大概のものは子供のようになってしまうが、その中で敬重されたものは真之君と、も一人清水則遠という人であった。この人は後にかかげる「七変人評論」中の記事を見ても略わかるが、ぼうッとした牛のような人であったらしい。一体がちょこちょこした重みのない松山人のうちで、この清水という人などは確かに異彩であったに違いない。惜しい事に脚気衝心で早く亡くなられたという事ぢゃ。余は古く子規君と一緒に谷中に在るその墓に詣った事を記憶している。
 さて「秋山は早晩何かやるわい」という事は子規君の深く信じて居られた事で、大きく言えば天下の英雄は吾子と余のみ、といったような心地もほの見えて居った。その後帰朝されて子規君の病床を問われた時、何か食物の話が出て、子規君は例の肉食主義を主張されると、秋山君は三日に一度は海老とか烏賊とかいうものを食わぬと自分は物足らぬと言われたそうで、この後余の酢章魚主義が多少子規君の鋭鋒を免れることが出来るようになった。
 その後、旧藩主の送別会の席上であったか、大分席が乱れて後、余は酔に乗じて謠(うた)を謠って居ると秋山君が傍らに来られて、あしも一緒に謠おうと何でも「花咲かば」か何かを連吟せられた。お前いつお習いたのだ、と聞くと、子供の時分に東條(?)の伯父に習うたのよ、との事であった。それからまた暫く会わなかったが、子規の葬式の時であった、棺が家を出て間もなく、袴を裾短に穿いて大きなステッキを握られた秋山君が向こうからスタスタ徒歩して来られて路傍に立ちどまって棺に一礼された。それから葬式はお寺に行ってしまったが後で聞くと秋山君は正岡の宅へ行かれて香を捻って帰られたそうだ。以来余は同君に会う事は勿論余り伝え聞くことも無かったが、日露戦争が始まって、東郷大将の下に参謀官として特に令名ある秋山中佐その人が真之君であって、程なく大将と共に凱旋された事を聞くに及んで胸の踴(おど)るを禁じ得なかった。御同郷人に秋山参謀をお持ちになるのはお国の方の御名誉です、とある他県人に言われたので愈々(いよいよ)肩身が広くなるように思われた。それに就いて「日本が世界で名高くなる時分には松山が日本で名高くなるからな」といわれた子規君の言が坐(そぞ)ろに回想されるのである。


 次に記載するものは「七変人評論 第一篇」と題されたもので、先ず初めに、

 凡例
 一 この七変人評論は常に往来相親しむ七変人の品行性質を互いに評論したるものなり(中略)
 一 編中七変人の順序は年齢の長幼を以って定めたるなり(下略)
 明治十九年一月三十日

 とある。その七変人の人名は、

 関甲子郎   陸奥人
 菊池謙二郎  常陸人
 井林広政   伊予人
 正岡常規   同
 秋山真之   同
 神谷豊太郎  紀伊人
 清水則遠   伊予人

 とある。これはいずれも大学予備門時代の同窓生で、このうち菊池謙二郎氏は余も一二度面会した事がある。嘗て第五高等学校の校長をして今は上海の同文書院の校長をして居らるるように聞いた。その他の人は余は知らぬ。今そのうちから子規君と秋山君と清水君との分をここに抜載して見よう。

正岡子規ノ評(PDF) 秋山眞之ノ評(PDF)


清水則遠ノ評
 或曰く、君頭を振るの奇癖あり。校中既に奇人を以て君を目す宜なり。その性質の人に異なる君は、正岡君と等しく役々の中に酒々落々たるは余輩の深く仰天する所にして、余り平気に過ぎると余輩は謂わざるを得ざるなり。
 或曰く、先生は聖人なり。撃てども怒らず、死すとも恐れず、漠乎としてその定る所を見る能はず。人これを知るが如く思えども真に知る人なし。
 あると見てとられぬ松の風の音
 或曰く、余既に五人を評し終わり、心倦(あぐ)み筆疲れ、、覚えず知らず机に倚(よ)りて寝ぬ夢に神あり。朗かに語て曰く、石清水宮の北庭に一樹あり。この松樹たるや雪防をなさずと雖も、未だ嘗て折れず。去冬またその強幹を恃みて少しも雪害の用意をなさず。然るに今朝の雪に遭いて忽然その枝を折らると言うかと思えば夢は覚めたり。余その深意を探り得ずと雖も、蓋しまた意なきにあらざるべし、書して以て君の評論に充つ。不知君能くこの意を解するや否や。
 或曰く、轟雷前に落つるも不驚、烈火後に起きるも恐れず、二喬の美も不顧、曽呂利の滑稽も不笑、撃を加うるも不怒、千金を与うるも不喜、恰(あたか)も木偶の如きとは余が清水子を評して言う所の語なり。然りと雖も時々首を振るあるは、木偶に似て木偶にあらざる所以なり。

 倦む : 良い結果が出なくて困ること
 二喬 : 三国志演義に登場する大喬、小喬姉妹。絶世の美女とされていた。
 曽呂利 : 落語家の名跡



人物採点表 七変人遊技競

 明治十九年は子規君二十歳の年である。二十歳前後の七青年が各豪傑を気取って一団を作って居るのは既に面白い。中にも我子規居士、未来の司令長官と推さるる秋山中佐がカルタの大関で澄まし込んでいるのは殊に面白く、秋山君が腕押しで最劣等、子規君が座相撲で大関などは甚だ意外の感がある。菊池氏の負吝(おし)み九十点は、後に柏田知事と論争して蹶然(けつぜん)その地位を去られたと伝うる千葉中学校時代のことも連想され、清水氏の0点は前後の記事に徴してもさもあるべき事と点頭かれる。

 先生年二十三、現に東京大学予備門にあり。身の長殆ど六尺屹として大山の如し。これを望めば巍々として近づくべからざるが如し。これに就けば温として児童を懐くべし。(中略)故にその性質朴にして飾らず、而してその中強豪の風を存す。人に礼するに頭を後ろに出すもまた一例ならんか。

とある。関甲子郎の色欲九十五点、楚の項羽と異名されたる井林広政氏の勉強二十点などは噴飯せざるをえない。事に評論の如きは今より見れば、当たって居るのもあり当たらぬのもある。
  伊予松山に人ありやと問わば自ら我なりと答えん。大学予備門に人ありやと問わば君は自ら我なりと答えん
とある秋山君の評は、君の面目を髣髴せしめる。「見るほどに」云々という月並み的の句の付いて居る処から見るとこれは子規君の言らしい。
 侃然事務に当たりこれを処理してその当を過たず云々
とあるはまた徒に豪傑気取りの粗暴なる武官ではなく、深沈なる東郷大将の有力なる幕僚たる事を既にこの時に於いて証明して居るといってよい。独りチンポを砂で揉むのが秋山君の面目ではない。また子規君の勇気を以て影弁慶とし、秋山君の才を以て一技手に果てんというが如きは、今日から見ると却って愛嬌があって面白い。子規君の評、清水氏の評のうちには秋山君の筆も交って居るのであろうか、余はどれという事を指摘することは出来ぬ。しかも秋山君の文才は子規君の「七草集」の巻末に散在する評言等にて看取することが出来る。海軍の公報が同君の筆になるという世間の噂は根拠のないことではない。
 以上はいずれも一場の戯れに過ぎなかったのであろうが、今日から見るとなつかしく面白い。それは独り余計りでもあるまいと思うところから、獺祭書屋の反故堆中より見出したるを幸いに、斯く載録したわけである。


 蹶然 : 勢いよく行動を起こす様子
 噴飯 : こらえきれずに笑ってしまうこと