兵学の三大別

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 秋山将軍は我が海軍兵術を組織化し、合理化した第一人者であるが、その組織化のうちでも、最も主要なるものの一つは、兵術を戦略、戦術、戦務の三大種目に分かち、それを更に基本、応用に区別したことであった。
 即ちこの場合に於ける戦略とは戦争または戦役の全局に対して考察するもので、軍の配備その他の根本問題を取り扱うものであり、戦術となると、ずっと局部的で、敵軍との交戦に当り、如何なる謀計により如何なる隊形を以って闘うかという技術的性質を多分にもつものである。
 これを囲碁に譬(たと)うれば、戦略は布石で、戦術は局部々々に起こる手筋や定石に類するもの、更に日露戦役に例うれば、開戦当初我が全艦隊を三艦隊に分けて、それぞれの任務に当たらしめたり、また旅順口を封鎖したり、バルチック艦隊迎撃の地点を定めたりしたのは戦略であって、バルチック艦隊と指呼の間に接して丁字または乙字戦法を用い、あるいは夜襲を実行するなど正奇虚実の術を尽くしてこれを撃破したのは戦術に属するものである。
 戦務というのは戦略、戦術を実施する事務的方面の総称であって、所謂後方勤務即ち弾薬、兵器、炭水、兵糧等の補給作業等もそのうちに包合されるもので、これを前二者と対立し、独立せしめたのは、秋山将軍の一見識であった。一寸考えてみれば戦務の如き後方勤務は軽いようであるが、その如何によって士気にも影響すれば、作戦にも直接に関係がある。むしろ根本的の問題であって、その重大性は前二者に少しも劣らぬのである。俗に言う腹が空いては戦争は出来ぬというが如き、偶然ながらこの戦務の重大性を物語っているものである。
 右の兵学上の三大事項に対し、秋山将軍はそれぞれ定見を有し、それが各々典型的のもので、世界的にその価値を認められている。中にも戦務に対して将軍の組成したるものは今なお海軍大学校で講義されている所であり、また世界の海軍国である英国でさえも、その一部を採用している所を見ても如何にそれが完璧なものであるかが察せられるではないか。将軍がひとり日本海軍の至宝であるばかりでなく、世界的兵学家である所以である。
 ちなみにこの兵学の三大種別に就いて、清河中将は将来講学方法の参考として左の如き附帯説明を加えている。
 戦略、戦術、戦務、の三つに分けることは、秋山将軍が、三元主義とでも謂うべき考え方(例えば、天地人、始終中、上中下、時間空間物質、緒戦酣戦終戦等)をして居られたときの創案であるが、自分はこの分け方が往々弊害の生ずる事を感じ、戦術講究は兵力の大小に拠り序を逐うことにする方が理義一貫の都合よき点もあるので、大学教官時代に一括して戦術にしたいと提言したところ、秋山将軍はこれに同意して言われるのに、
 「彼の当時は所謂創始時代で、先ず戦術から始め更にこれを基本と応用とに分けて開講したが、基本を終わり応用戦術になると心術的方面にはいるから自然、術、略の問題に触れて来るのでこれを論ずると兵術の全般に亙る様になり、そこで分類種別に固執すると次に来る基本戦略、応用戦略の段になって再び戦略論を取り扱うようになり、複雑を感じたこともあるから、学問的には戦術、戦略、戦務に分けるにしても、本来術と略とを明確に区別して論定を得べきものでないのだから、兵術講究としては一般的に戦術の一つとしてしまう方が確かに簡単にして理義一貫の利益がある」
 当時自分は戦史担任の教官であり大学校の教課改正にまで手を出すことは出来なかったが、秋山将軍は晩年確かに一括論者であったと思う。

 酣戦 : 戦いの真っ盛り