青年指導

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 将軍が意を用いていたものは、ひとり肉親の子女ばかりでなく一般青年男女の教育指導に対しても平常少なからぬ関心を持っていた。
 就中将軍の最も強調したものは、精神方面に於ける教育であった。将軍は講演会その他機会さえあれば次のような事を言っていた。それは教育上知識偏重主義の排斥である。近頃の教育は兎に角知識偏重に過ぎる、学生はただ学校の成績さえよければよいと思い、父兄もまたそう信じているがあれは大きな誤謬である。昔は親孝行を以て道徳の根髄としたが、今は孝道は全く廃れてしまった。教育勅語に何と書かれてあるか、父母に孝に、兄弟に友に、夫婦相和し、恭謙(きょうけん)己を持して、道徳の守るべきを先ず挙げられ、然る後に学を修め業を習いと仰せられている、その間自ら本末が明示されている。然るに現今の教育はいつしか本末を誤り学を主に徳を従にするは錯誤も甚だしい − と、大体こういう趣意から文教方面の欠陥に対して痛憤していた。
 同時にまた日露戦争後澎湃(ほうはい)として起こった国民奢侈(しゃし)の風にも将軍は遠慮惜しく能はなかった。この際一層自重して、国民剛健の風を養わねばならぬと、これまた機会ある毎に説いていた。
 これだけでも将軍が青年指導に対する態度を窮知するに充分であるが、かつて愛媛県操觚(そうこ)界の重鎮だった元伊予日々新聞社長の柳原正之氏の次の話は、将軍の青年指導に対する思想の他の一端を物語っている。
 
 日露戦争がすんだ間際のことだった。秋山将軍が松山へ帰り出淵町の内山直枝氏方に泊まられたので、私は将軍を訪問してみた。と丁度その時奥に来客があるらしく、「今日は忙しいけれ、いかんがなあ」と国言葉で言われたが、私は「今日は新聞記者としてきたのだから、是非話をして戴きたい。それに就いては何か青年の為になる御意見はありますまいか?何か青年の処生訓とでもいうべきもので・・・」と押して尋ねると、将軍はその意を汲んで次のように話された。
「人は、先ず三十歳までに人生に対する準備が出来ていなければならぬ。この人生の計画は青年時代にある。三十歳までに自己の目的を確立し、自分が拠って以て立つべき基礎が出来ていなければならぬ。殊に日本人のように五十歳が平均寿命となっている短命国にあっては、是非とも三十歳までには確乎たる人生に対する準備をしておかねばならぬ。勿論西洋では六十歳八十歳になってから活躍する人もあるが、それは長寿国に於いてのみ出来得ることで、我国ではそうはいかぬ。世界の偉人を研究して見ても凡て三十歳くらいまでには準備をしているものが多い。だから日本の青年はどうしても三十歳までにその目的を樹てて進まねばならぬ。そうしなければ偉い者にはなれぬ」と結んで奥に入られた。

西洋と日本の平均寿命を比較して誨(おし)ゆるところ、これまた一つの見識であらねばならぬ。

 将軍の令姪の一人は元三井社員塚原嘉一郎氏に嫁いでいるが、この令姪の結婚に当たり将軍は自ら筆を執って次の様な長文の訓諭を令姪に与えた。この訓諭も将軍が青年子女指導に熱心なる一面を示すと共に、将軍の抱懐する婦徳観を語るものである。

芽出度天縁相整い其元には愈々塚原家へ縁付かれ候に就き此後の心得一通り教え諭し置き候ものなり。
一、凡て夫婦たるものの第一の心得は夫婦のえにしが決して仮初ならぬことを能くわきまえ居ることにて、一度契りを結びたる以上は神様の命じたまえる天縁と心得如何なる事ありとも離るべきものならざるを覚悟して、終生偕老を全うすべきものぞかし。此の天縁のたっと気を辨えずして我儘勝手に夫を定めたるものと思いあやまる時は、長き年月の間には色々の不足など心に起こりて一生の不幸此上無きものなり。
一、又夫婦は終始同心一体という心得が至極肝要なり。素より別々の家に生まれ育ちたる男女が始めより同心一体となるいわれなきようなれども、妻たるもの常に夫の心を我が心として付き従う順う時は、自然に和合して一心同体の如くなるもぞかし。凡そ夫婦の中に包み隠し又は疑い怨むなどのこと毛頭あるまじきものなるに、まま斯様のことあるは夫婦別々の考えより生ずるものにて、一心同体なればかくすこともうたがうことも出来べきにあらざれば、其元縁付の後は常にに夫をかたく信じ、仮初にも夫を疑い怨むなどの事なきは勿論、些細の事にても夫に包み隠しあるべからず。但し国家社会の要務に従事する夫は妻に話さぬことあるものにて、公辺の大事を妻に洩らすような夫は決して善き夫にあらずと知るべし。
一、夫婦の道一心同体にあれども、これとともに心得べきは夫婦の本分に差別あることにて、古の聖人も夫婦別ありとおしえたまえり。夫は一家の主人にして妻はこれに従うべきもの、決して男女同権にはあらず。又夫は常に外に出でて国家社会の公務に従事し其所得にて一家を養い、妻は内を守りて家を修め子供を育てるが各々の天職にて、此の家を修め児を育てる仕事だけに一生懸命勉強しても足りぬ程六つかしきものなれば、其以外に迄手を出すなどは誠に心得違いの至りなり。我が夫に家内の心配をかけず、我児を立派に育て上ぐれば、これこそ婦人の勲一等と申すものなり。
一、夫婦の愛情はいつまでも無くてかなわぬものなれども、如何程むつまじきとて妻たるものが夫に対して馴れ馴れしくするのはよろしからず。必ず常に敬意を以て恭しくつかうるものなり。この心掛けさえあれば夫の愛情は生涯尽くるものにはあらず。世にまま馴れ合いの夫婦というものありて、夫婦が友達の如くなれしたしむかとおもえば一年もたたぬ内に愛情つきて果ては不縁となること多し。慎むべきものぞかし。また朝夕夫にまみゆるには必ず髪をくしけづり、衣装をととのえるを忘れるべからず。如何程いそがしき折にても、しだらなき姿にて夫の前に出るは女の辱じなり。婦人の鏡はそれが為に持たしあるものにて、古より鏡を女の魂と尊ぶいわれもまたここにありと知るべし。去れどもたしなみと華美とは似たるようにて大違いなれば、間違えてはなり不申。この事呉々も注意なさるべし。
一、凡そ女子が生家を出でて他家へ縁付けば、最早其家の人となりたるものなれば、夫の父母兄弟に真実の親同胞と同様に誠を尽くし、何事も其家の事のみをおもいて我家を忘れ生家の家風などを持ち込む婦人あれども、家々にはそれぞれの家風あるものなれば必ずそれに従うべきものなり。殊に縁付きたる後に生家の親兄弟などの富貴栄達を鼻にかけたるは、はしたなき婦人に有勝の事にてよし夫との仲むつまじくとも弟妹にきらわれ終に不縁の不幸を見ることあり。心すべき事なり。
一、女子の慎むべき事数多くあれども、取り分け口の慎みは最も肝要にて口は禍の本と申して、それがため自分の不幸を招くのみにか夫に迄迷惑をかくるものなり。他人の前は勿論、夫の前にても人の風評などはよかれあしかれ決してなされまじく、それよりは自分の風評をされぬよう明け暮れ注意なさるべし。又其元は未だ充分に家政などの経験もなければ、何事も目上の人に聞きて我が足らぬ処をおぎなうよう心懸け、人中に出過ぎて物知り顔などするはいちも慎むべき事なり。
一、家を修むるには万事に質素倹約が第一にて、家計ゆたかになりても身分不相応の事をなすべからず。一度奢りて長ずるときは再び元の質素に帰り難きものぞかし。又年若き時は早く起きて遅く寝て、自ら先頭に立ちて下女同様に働くがよろしく、何事も自分でして見ねば後年に至り人を使う呼吸は分からぬものなり。

 右の七ヶ条、呉々も忘れぬ様いたされ、結婚の後も毎月一日には必ずこの手紙を読まれたく、さすれば其元一生の幸福は自然にこれより生ずること疑いなく候。芽出度かしく。

 海軍軍人にして婦徳を説く、聊(いささ)か筋違いのようではあるけれども、ひとり婦徳感のみならず人事百般に対して一かどの識見をもつ将軍平常の用意をも語るものである。


 恭謙 : 慎み深く、へりくだること
 澎湃 : 物事が盛んな勢いでわき起こる様子
 奢侈 : 度を過ぎてぜいたくなこと
 操觚 : 文筆に従事すること