人道主義

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 将軍の思想には、これを大別すると、二大潮流があった。その一は正義に立脚する人道主義であり、その一は熾烈(しれつ)なる愛国心であった。
 将軍が如何に正義を愛したかは、将軍を知る者の斉(ひと)しく認むる所で、前記の性行に関する数々の頁を見るだけでも頷けるであろう。将軍が人道主義者たる点は、既に兵学編に於いても叙べたように、その軍略上の大精神が殺敵主義にあらず屈敵主義にあることの一事だけでも想見出来る。しかも将軍自身筆舌を以て発表したもので、将軍の人道主義を最も明確に物語っているものは、大正五年十一月、天晴会に於いて「欧州大乱の心的原由」の題下に試みた講演である。この講演で将軍は独逸の非人道的自我主義を極力排撃している。これは一大見識であると同時に、将軍の人道主義的思想を如実に吐露しているものである。左に講演の要旨を抄録する。

 欧州の大戦乱は、墺国の皇太子を射たる塞耳維亞(セルビア)兇徒の拳銃一発に起こり、宛も燐寸(マッチ)一本が武蔵の全野を焼けるが如きものであるが、これは単に導火線に過ぎないので、その当時吹けば消えてしまい、またそのままにして置いても斯くまでの大火とならずに消し止め得たものであった。然るを斯く炎上蔓延せしめた当の責任者の誰なるかは、言うまでもなく已に明白で、欧州各国の外交書などを調べてみても、その独逸たるは疑を容るべき余地がない。(中略)
 誇大妄想とも謂うべき極端なる自我主義、これ近年独逸上下の思潮を支配せる心理で、現にその国を過らしめつつある主因は、確かにこれである。人孰(いず)れか自我ならんかではあるが、抑も自我は他我と相俟(あいま)って成立すべきもので、独逸の如く他我を認めざる自我一点張りは、悉(ことごと)く周囲を敵とし自ら他の存立を認めざると同時に、他よりもまたその存在を許さるべきものではない。独逸人彼等は言い且つ信ぜり。「我がチュートン人種は世界最高等民族なり。吾人はチュートン的文明を以て世界を教化し且つこれを統率せざる可からず。吾人のなしたる文化の貢献に対し、寸毫も報酬を払わざる世界は、吾人自ら進んでこれを取るの外なく、この大主義に反抗する他の劣等民族は、悉く我が犠牲たるべし」と。(中略)
 斯く自我一点に固まりたる独逸人の性格は著しくその行為に実現し来り、彼らの各個が己に頗る傲慢薄情で相互の謙譲友愛に乏しきのみならず、この大戦中白耳義(ベルギー)、仏蘭西その他の占領地域に於いて、蛮行獣為を敢てし、これを悔いもせず、恥じもせず、また咎めもされず、公法蹂躙、人道無視などは最早彼らの心理に微細の感触をも与えないのである。凡そ自我性に増長したる者は、その我慾を遂げんがため、全幅の精力を発揮するもので、これは確かに独逸人個々をして過去の成功をなさしめた一因であるが、また一方に於いて自己の力の及ばざるとき他に救助慰安の求むべきものなく、終に落胆絶望の悲境に沈むのが、心理上当然の結果で、最近数年間に独逸に於ける自殺者の統計が非常に増加したことは、正しくこれを証明せるものである。これを以て推すときは彼等の好んで始めたるこの大戦も飽くまでも悪る強く、精力のあらん限りを尽くすであろうが、終にまた力尽きて自滅自棄の極底に陥落すること殆ど必然と発想さるるのである。(中略)
 低能を以て盲従されたる不徹底の自我主義が独逸の国是を過たらしめたる主因たることは、大要前述の通りであるが、ここにまた副因として見逃し難き他の内因がある。それは外でもない、最近僅か数年の間に、独逸の中流以下に蔓延しつつある自然主義である。彼等は宗教を迷信と認め道徳を形式と看做(みな)し結婚を異性の娯楽と信じ、これを唱え、これを行いて憚る所なく、人類をして禽獣に迩(ち)からしめんとするものの如く、いまやその党員全国に亘りて八百万以上の多きに達せるの有様である。蓋しこの自然主義は彼のニーチェの唱えたる個人主義が不節制に悪化したるもので、宛かも自由が放逸に流れたと同様の心理的変化である。(中略)
 自分が斯く欧州大戦の心因を尋ねて、ここに多言を要するものは、国民思想の変遷が、恐るべき大悪果を発生することを闡明(せんめい)して混沌たる我思想界に資するの必要を切実に感じたためである。(中略)

 将軍がこの講演を試みた大正五年は未だ欧州大戦の半途であった。この半途にして独逸の敗北を確言したのも卓見であるが、この独逸の強さに対して賛嘆の声世間に囂々(ごうごう)たる最中に、一人正義観念の立場から毅然としてこの言を為した点に於いて、特に将軍の偉大さを見出さねばならぬ。

 闡明 : 明らかにすること