病児を占う

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 将軍が易に造詣深かったのは、ほかの余技とは違って、趣味ではなく全く宗教心からの副産物であった。
 しかも将軍は晩年、易に対しては相当強い信頼を置いていた。次の話がよくそれを説明している。
 将軍の三男中君がその二歳の時に赤痢を病んだ事があった。その時将軍の乗艦は佐世保に碇泊していたが、病篤しと聞いて東京に帰って来た。将軍は一週間滞京したが、その間病児に異変がなかったので、もう大丈夫と思って、再び任務に帰るべく東京駅を発った。然るにその後で病児の容態急変し、脳を犯されたというので、医師の注意により家人は車中の将軍に宛て、直ぐ引き返すように急電を発した。ところが将軍は引き返さず、そのまま車中の旅を続けた。後で聞いてみると、電報を受け取ると将軍は、病児の運命に対し易を立ててみた、すると卦は吉と出て病児の恢復の神示があった。そこで将軍は安心して帰宅しなかったのであった。果たしてその後、病児は医師の予告に反して病勢衰えて奇跡的に快癒した。易そのものの是非善悪は別として、兎に角それまで易を信じ切れば将軍の態度はまことに徹底したものであったと思う。