秋山文学

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 将軍の余技に就いて語ろう。
 余技といえば先ず何よりも先に挙げねばならぬのは、将軍の文章である。しかしそれは余技というべく余りに偉大である。「活躍編」に於いて述べた如く、「舷々相摩す」「天気晴朗」云々の戦時中の名文を始め、数々の報告文は、悉く玉の如き美辞麗句と風韻に充ちていた。当時自ら「秋山文学」の名起こり、同時にまた総称的に「海軍文学」とさえいわれたものであった。
 秋山文学の特徴は漢文調がその基調をなし、新造語多く、行文簡潔なるにあった。一体新造語の多い文章は兎角生硬難澁に陥り易いのが常であるが、将軍の新造語たるや極めて洗練されたもので、その点将軍は一個造語の天才というべく、作る用語も要領を得て韻律極めて美であった。
 参考のため連合艦隊解散辞を左に採録しておくが、この一文に対し当時の米国大統領ルーズヴェルトが非常に感心し、米国軍隊の士気を鼓舞する目的で全部を英訳して自国の核軍隊に配布した。
 一体このルーズヴェルトという人は軍隊の士気を鼓舞することには熱心に力を用いた人で、一度米国軍隊の予後備役将校連を集めて騎馬行進を試み、自分が真っ先に走って、それに続けぬ堕弱な将校は片ッ端から罷免したという話が残っている。それ程のルーズヴェルトが進んで翻訳させたというのだから、この解散辞の文章が如何に雄健を極めたものであるかは推察に難くないだろう。