一種の天才気質とでもいうか、将軍は淡白でそして無造作であった。この性質が客観的に傍らから見ると、俗にいう傍若無人というものになることがあった。
淡白の点で将軍の美しい所は、自分の非を悟と率直にこれを認めることであった。ああいう人物だから、そうそう非を主張するようなことはないけれど人間固より神ではない。時に意外の錯誤から非を主張するようなことはあるが、そういう場合に綺麗にそれを取り消すなり捨てるなりして、非を認めながら剛情我慢に横車を押すということは将軍にはなかったようである。
無造作な点ではいろいろの逸話がある。かつて海軍大学校教官時代、将軍と教官室で机を並べていた佐藤鉄太郎中将が話したことであるが、数ある教官の机のうちで、机上にしても抽斗(ひきだし)の中にしても最も乱雑だったのは秋山将軍で、その次が佐藤中将だったということ、将軍の脳裏には机の周りの整理などという事はてんでアタマになかったらしい。
やはり同じ佐藤中将の話だが、かつて同中将がロンドン留学時代、これも当時米国に留学していた秋山将軍がロンドンへやって来た時、一緒に街路を歩くのに将軍は洋服のポケットに煎豆を忍ばせて置き、それをポリポリ食べながら平然として歩き廻るのには、みっともなくて閉口したという事である。
また将軍がかつて令兄好古将軍の四谷信濃町の家に居た時の話であるが、青年時代非常の健啖家であった将軍は、食べ過ぎて腹が膨れて苦しいときは、夏などはその療法としていつもナイフと風呂敷をもって氷屋へ出掛けていくのが常であった。風呂敷は何にするのかというと、途中で桃を買って入れて行くので、氷屋の店頭で用意のナイフでその皮をむき、その後で氷を飲むと必ず下痢をする。その下痢によって腹中のものを排出してしまうと、膨れた腹が小さくなるという恐ろしい荒治療である。無造作もこうなると乱暴に近いが、そんなことを平気で繰り返していた将軍だった。それかと思うと、将軍は頭脳を明快にするためだといって婦人薬の実母散を常用するというような一面もあった。