"監修者"としての校正作業

9月某日、最初の打ち合わせで「検討事項」となっていた「日本海海戦の回想」掲載について、編集長から「ボリュームを見るためにサイト掲載済みのデータを入稿してゲラ刷りしたが、新人物往来社のと比べてかなり違う所があるので校正をお願いしたい」との連絡がありました。調べてみたところ、私の誤字脱字も多かったのですが(大雑把な性格なので・・・・すみません)、その後の校正の過程で原本の誤記なども見つかりました。ここでは原本2冊(初版、増補五版)、新人物往来社「軍談 秋山真之の日露戦争回顧録」、さらに公刊戦史「明治三十七八年海戦史」との相違点などを解説していきます。


新人物往来社「軍談 秋山真之の日露戦争回顧録」

2010年2月発売の「軍談 秋山真之の日露戦争回顧録」(以下、新人物往来社版)では、「日本海海戦の回想」の他、「黄海海戦の回想」「支那と対比して日本国民性の自覚」の二編が収録されています。編集部の校正担当者から指摘された大きな違いは、新人物往来社版では海戦戦報の部分省かれているというところでした。国会図書館所蔵の「軍談」初版、我が家にある「軍談」増補五版のどちらも海戦戦報が掲載されています。そのため、新人物往来社版では意図的に省略されたか、もしくは別の資料をもとに入稿したものと考えられます。


増補五版にも誤記が・・・

とりあえず初版の誤字脱字が修正されている増補五版を元に第一回目の校正作業を始めたところ、原本の誤記が見つかりました。戦報の最終行「これ午後二時四十五分に於ける彼我主力の戦況にして、勝敗は既にこの間に決せり」の「時四十五分」が第五版では「時四十五分」となっていました。初版では正しく表記されていた箇所です。
それ以外は問題が無さそうだったので、2回目の打ち合わせで文藝春秋本社に伺った際に校正担当の方に第五版のコピーを渡し、校正作業で使っていただくことになりました。


監修!?

9月末日、編集長から最終校正の依頼メールが届きました。添付ファイルを開くと、冒頭には自分の名前と「監修」の二文字が・・・。まさか名前が載るとは思っていなかった上に「監修」扱い、コラム以上のプレッシャーを感じました。


靉きて??

戦報の一文「その騰煙西風にたなびきて」は原文では「其ノ騰煙西風ニ靉キテ」となっています。この「靉」の読み方は、増補五版にはルビが付いていなかったため初版のルビを参照し「たなびきて」としました。しかし、手元の辞書で調べても「靉」に「たなびく」という読み方がなかったため、「明治三十七八年海戦史」を確認したところ、こちらでは「其ノ騰煙西風ニ靡キテ」となっていました。「たなびく」と「靡く(なびく)」は微妙に意味が違うようですが、とりあえず原文通りにしようと考えて「たなびく」としました。


第三図は何時の対勢?

本文中では、第三図はバルチック艦隊の戦列が乱れ始めた「二時四十五分」の図であると書かれています。しかしこの図の時刻、「軍談」、伝記「秋山真之」(昭和8年 秋山真之会編)では「二時四十五分」ですが、「提督秋山真之」(昭和9年 岩波書店)では同じ図にもかかわらず「三時十五分」となっています。また、「明治三十七八年海戦史」の付図では「三時」、「坂の上の雲」文庫版第八巻の関連地図(日本海海戦図4)では「午後3時~3時15分」となっています。「明治三十七八年海戦史」「坂の上の雲」では、「二時四十五分」時点の両艦隊は並行して進んでいる状態です。
このあたりの差異をどうするかで悩みましたが、編集長と相談の結果、やはり執筆した真之の文章を尊重しようということになり、「軍談」原本通り本文と辻褄の合う「二時四十五分」のままとしてあります。