1850年〜1901年。江戸出身。英国留学を経て日本人初の法廷弁護士資格を取得。その後政界に転身し、自由党に参加。大同団結運動を提唱するなど藩閥批判を行ったため保安条例で追放されるが、後に陸奥宗光や伊藤博文の知遇を得て、衆議院議長、朝鮮政府法律顧問、駐米公使、逓信大臣などを歴任した。「押し通る」の異名を取る剛腕政治家であったが収賄疑惑も絶えず、東京市議会議長在職中に汚職に怒った伊庭想太郎に暗殺された。
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出身地 |
陸軍士官学校 |
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生没年 |
1860年〜1931年 |
陸軍大学校 |
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最終階級 |
日露戦争時 |
歩兵第四十二連隊長 |
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詳細情報本郷のエピソードは個別ページ「本郷房太郎」に掲載予定。 |